鬼滅の刃で中学英語#3~I am=I'mじゃない時もある?~
ちょっと中学英語レベルの話ではないですが、鬼滅の刃の英語翻訳版『Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba』の中で、同じ人物なのに「I am」と言ったり「I’m」と言ったりすることがあるので、そこの解説を入れておきます。
箸休め程度にお聞きくださいませ。
なぜI amと言ったりI’mと言ったりするのか?
前々回や前回で「I am=I’m」と説明しましたが、それは中学英語の話であって、実際の英語での使われ方として、「I am」と「I’m」で使い分けされるシチュエーションもあります(特に会話で)。
たとえば、「am」を入れて全体をゆっくり話すことで、一言一言に重みを持たせるなどです。
(Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba Vol.1)
I am Sakonji Urokodaki.
(儂は鱗滝左近次だ)
鱗滝さんの場合は、これに相当します。
また、原作では鱗滝さんだけ「儂は」という主語が入っていますので、「I am」という言葉にして、それを表現しているのだと思います。同じ巻の以下の例もそうですね。
I am a trainer.
(儂は育手だ)
また、こうすることで、鱗滝さんの、高齢で落ち着いた感じで話す、というニュアンスも伝わるのです。
逆に、炭治郎のセリフは、
I'm Tanjiro Kamado.
(竈門炭治郎といいます)
あえて省略形の「I'm」で書かれているのは、目上の人である鱗滝さんに対して、真面目な性格の炭治郎が「すぐ」答えようとした表現と考えると理解できるかなと思います。
ちなみにマンガの会話は基本的に「すぐ話す」のが普通なので、「I'm」やその仲間の「You're」「He's」「She's」などが目白押しです(。
日本語では「ありがとうございます」を「あざーす」と短縮すると失礼ですが笑、英語では必ずしもそうではない、ということですね。
もう一つの使い方
もう一つ、「am」をあえて使うシチュエーションがあります。
これも百聞は一見にしかずなのでこちらをご覧ください。
I am Tanjiro Kamado, rank Mizunoto in the Demon Slayer Corps...
(俺は鬼殺隊 階級・癸!!、竈門炭治郎だ)
(Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba Vol.3)
後ろにぞろぞろと書いてありますが、それは「I’m」の時でも使えるので大事なのはそこではなく、あえて「I am」とすることで「自分は○○だ」と強くアピールしているのです。
ここでは、炭治郎の存在に気づかずに歩いている鬼がいるのに、炭治郎は不意打ちをすればいい所、真正直な人間なのでそれが出来ず、むしろ「やあやあ我こそは…」と鎌倉時代の武士のように名乗ってしまう、シリアスなのにコメディチックな、『鬼滅の刃』らしいシーンなので、あえてそれを「I am」と訳したと見ていいでしょう。
日本語でも、「俺は面白いと思う」みたいに、あえて強調して言う言い方がありますが、それに近いと思ってもらうとわかりやすいかなと。そういう時は発音も強くしますよね?日本語も英語も同じです。
これは、あとで学ぶ同じbe動詞の「are」や「is」も同じです。
中学英語ではそこまで問われない
残念ながら、中学英語ではそこまで問われるような問題は出てくることがありません(超難関校でなければ)。
というのも、いくら文部科学省が『学習指導要領』という学習指導のガイドラインで、「使える英語が大事だ」とヒアリングやスピーキングに力を入れるようにした所で、1~2対30~40人という現在の指導環境では「会話のニュアンス」まで身につけさせることは物理的に不可能です。
そこでやっぱり「ペーパーテスト」で評価するしかなくなってしまうから、文字面だけで見たら大して変わらない印象になってしまうため、「I am=I’m」でよくなってしまうんですよね。
ですから、中学生は素直に「I am=I’m」と理解しておいて、でも会話上では「I am≒I’m」なんだということは頭の片隅に入れておくといいのかな、と思います。
日本語でも、正しい言葉遣いを中学生はそこまで要求されないのと同じですね(もちろん、出来るのが理想ですが!)。
本日のまとめ
・中学英語では「I am=I’m」が正解だが現実は違う
・でも、中学は文章にするのでまぁよし
➡次は「My name is…」を使った自己紹介について
〈出典〉