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離反エイジ 【短編小説】


 夜も完全に更け切った頃、薄暗い一人暮らしのアパートの一室で、新木は一冊のノートにペンを向かわせていた。何かを書いては、ペンを頭の上でクルクルと回し、また何かを書いてはペンを鼻と上唇の間にはさんでみたりしている。20分程思考に耽り、そこそこにペンも進めた所で新木は一旦立ち上がり、キッチンにある小さな冷蔵庫の前まで来てもう一度膝を折った。一人暮らしにしては雑多な冷蔵庫の中からいつ買ったのかも分からない冷えたビールを手に取り、新木は特に何の思い付きもなく窓を開け、ベランダに出てみた。夜風が心地よい。そう感じる事が出来た自分が少し恥ずかしくなり、新木は急いで黒一色の空に目をやった。

「将来何やろうかな、、」


「将来何やりたい?」

 退屈な5時間目を終え、中学校からの下校道を歩いている最中、隣でテニスのラケットを振り回しながら歩く同じ部活の三上が新木にそう問いかけた。普段ならこんな話なんて絶対にしない2人だが、自分の人生設計を考えてみよう、なんていう退屈な道徳の授業を受けた直後で、すこし頭の片隅をこの話題に占領されていた。「うーん。難しいね。」新木は少し考えた。「俺なんてさ、父さんも母さんも学校の先生だし。俺も学校の先生になりそうな気がするけどね。」三上はひょうひょうとそう言った。「だし、父さんも母さんも俺に先生になって欲しい、って思ってると思う。」三上が続けた。三上は学校の先生になりたいの、その言葉は口から出ず、新木は俯いていた視線を前にやって少しだけ声を張って答えた。「俺は俺にしか出来ない事をやって、会社を作って社長になりたい。」「いいね。新木らしくてカッコイイ感じ。」三上は持っていたテニスラケットをもう一方の手に移し、空いた手で新木の背中を軽く叩いた。新木は何だか可笑しくなって、小さく笑い、恥ずかしさを隠すように先に見える信号まで走り出した。それを追うように三上もテニスラケットを振り回しながら走り出した。

「新木!いきなり驚かすなって!」


「新木!いきなり驚かすなよ!」

 三上から返信が返ってきた。何となく始めたフェイスブックで中学の同級生の三上を発見し、新木は思わずメッセージを送っていた。こうやってまともに話をするのは5年振りだが、人は3年あれば変われる、といつか読んだ自己啓発本に書いてあった。「久しぶり。今どんな感じ?」新木は5年振りの三上にそう聞いてみた。数分も立たず三上から返信が届いた。「大学で教員になる為の勉強してて、さっき教員採用試験の1次合格の通知きた!だからこれから教育実習行くことになるかな!」「三上おめでとう!お前ならきっと良い先生になれるよ。」「ありがとう。俺も遂に先生になるのか…」「女子生徒に嫌われないように立ち回れよ」新木は、単純に三上を尊敬する気持ちと、少し羨ましいと思う気持ちの間で揺れていた。そんな気持ちに反して、新木の指はスラスラと動き始めた。「俺さ、将来何やっていいか」そこまで打ち込んだ所で三上から返信が来た。「だから今これ考えてるんよね!見て!」メッセージと一緒に1枚の何かが書かれたノートの写真が届いた。沢山の文字が書き込まれたページの1番上には、他の文字よりも少し大きくこう書いてあった。

「授業計画」


「事業計画」

 そう題された書きかけのノートに目を落とし、新木は薄暗い部屋で1人呟いた。「これ、悪くないと思うんだけどなぁ。どうやって実行したらいいんだろ。」ぬるくなった残り少ないビールを一気に口に運ぶと、キッチンにあるゴミ箱に向かって投げ入れたい欲を押さえ込み、空になった缶を自分の足元に置いた。新木はさっき感じた夜風の気持ち良さが何故か忘れられず、もう一度ベランダに出てみた。もちろん辺りは真っ暗で、見渡す限り明かりが付いている家はちらほらしか無い。先程とは違って、新木の頭の中はきっと教員になるであろう三上のことで一杯だった。「結局俺だけ子供のままって訳か、」新木は暗闇に包まれた街にそう吐き捨て、冷たい風を肌に感じながら、夜の街に背を向け部屋に戻った。午前3時40分。街灯だけが煌々と輝く窓の外。街が闇に包まれている中、今日という日にさえ取り残されているように、新木の部屋だけがポツリと明かりを放っていた。




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