俺が「」と言う時
8号館101教室からこんにちは。
お久しぶりですね、俺です。
久しぶりのnote、何を書くのかと言えば、最近といってもかなり直近の俺の現状について。
リアルな俺のことを知らない人からすれば甚だ「?」といった感じではあるけど、周りと比べて少しイレギュラーな人生を歩むことになっているこの現状を恥ずかしがらず記していこうと思います。
周りをみれば、みんな友達のような何かと楽しく談笑していて、それに比べて俺は一人黙々とキーボードを叩く音を響かせているだけ。
そういえば俺がnoteを「主観的な語り口調」で書くことはかなり珍しい、もしかしたら初めてかもしれないとも考えながら、ゆるく始めていきます。
・普通の人生って何だよ
みんなの人生って普通?特殊?
そんなの分からないよな、物心ついたら暖かい家と優しい両親がいて、近所の学校に通ってそれなりの勉強をして受験をして、大人になって、仕事に就く。結局ステレオタイプに影響されてしまっていることは否定できないし、それに関しては謝ることしか出来ないけれど、およそ23年生きてきた今、俺の目には「普通の人生」がそう見えてる。
そう、いまみんなが思った通り、別にこれは「普通の人生」なんかじゃない。見方を変えれば、俺は運よく出来た両親のもとに産まれ、不自由ない生活を少年期に送りながら、整った勉強環境を与えられ、世間でいう良い学校への受験に挑戦できて、学費も払ってもらえている。書いていて思った、これいい人生だよな。普通の人生って何だよ。
でも、
幸か不幸か人間っていうのは主観的にしかなれないもので、いくら客観視しようとしてもそれは客観的事実を「自分がどう感じるか」になってしまう。
まぁ、この主観客観うんぬんの話はいったん置いとくとして(主題とぶれそう)、今回のnoteでは上記した俺の思う人生を「普通の人生」と仮定させてほしい。みんなの疑問も憤りも共感も分かったうえで言わせてほしい。
俺は今、以前には想像していなかったし、周りから見ても「普通ではない人生」を送りながら、いたって「普通に」人生を送っている。
ちょっとよくわからない文章だけれど、なんとなくわかってくれることを願いつつ。
・俗に言う「もう一回遊べるドン!」
留年した。ウケる。
周りの友人たちは社会に羽ばたいたけど、俺は未だに大学でようもわからん講義を受けている(現在進行形でnoteを執筆しているから受けているとは言い難い可能性が微レ存)わけだ。
別に「大学でやり残したことがある!」とか、「就職のための前向きな準備期間を作る!」とか高尚な理由はない。
そもそも卒業単位に届かなかったし、就活も別にうまくいかなかった。だから留年も当然っちゃ当然だった。
ただ、俺が留年した理由は一言で表せるほどに単純ではなくて、実のところ卒業単位を取得することは可能だったし、内定もあった。
じゃあなんで、俺は留年して今もなお学生としてのうのうと生きているのか。
その理由は、ここに書くには長くなりすぎて書けない。
人生で起こるイレギュラーな出来事を選択した理由がシンプルであってたまるか。
かいつまんで出来るだけ短く書くなら「納得がいかなかったから」になるけど、普通に卒業して就職したみんなも別に納得はいってないよな。
でも、俺がいわゆる「線路」から外れてしまったのは事実だし、こんな人生を想定していなかったのも事実。
そんな「普通の人生」とは違う人生を送ることになったわけだけど、どうなのかと聞かれれば至って普通。勿論、親とのいざこざはあったし、おそらくストレスか病んだかで勝手に体重が7kgくらい落ちて元々標準体重だった俺が細身になってしまった。プライドも何本か折れたし、後悔も無い訳ない。
一旦、「普通の人生を送る俺」は死んだ。
4月、新学期が始まって2週間。みんなが新たな環境で必死に頑張ったり、今まで通りコツコツと頑張ったりしてる中で、俺もほぼ毎日1人で大学に通ってる。1週間を通して大学内で声を発したのはほぼ0。後輩なんて作らなかった4年間だから知った顔も1人もいないし、当たり前ではあるけど。
オモロいよな、陰キャやん。コロナ禍で2年間我慢した末のやっと訪れたキラキラキャンパスライフとは対角線にいる。何が「もう一回遊べるドン!」だよ。
まぁ、でも友達が1人もいないキャンパスライフも最悪ってほど悪くもない。授業をサボったり寝過ごしたりしようもんなら、死ぬ程勇気を出して隣に座る他人に話しかけない限り、単位取得が遠ざかってく。だから、めっちゃ真面目に授業を受ける。きちんとノートも取る。朝起きるから遅刻もしないし、課題も出す。
オモロいよな。真面目やん。こんなん友達がいたら絶対に送れない(少なくとも俺は)キャンパスライフ。5年目にして1年目の気分。
これは余談だけど、いま大学生の大半は入学後すぐにオンライン授業だったから、「大学の授業を受ける=パソコンを使う」が当たり前になっていて、授業前に急いで資料を印刷してそれに書き込むっていう俺らからしたら当たり前の文化が消え去った。俺の大学だけな可能性はあるけど、みんなノートパソコン開いてカタカタ打ち込んでる。リアクションペーパーもネットで提出になったし、そもそもプリントとかを配ることも感染対策のために控えてるらしい。コロナ以前の対面授業を経験してる俺からしたらまさに浦島太郎状態。こうやって当たり前は変わっていくんだな、としみじみ実感した。
・で、実際何を得た?
予定に無かった空白の1年間。俺は何を得るのか?
何を失った(失っている)のか?
俺が留年して得たもの、それは「自由」。
大学生だから比較的自由な時間があってバイトも好きな時間にして、好きな時間に寝て好きな時間に起きる、買い物も遊びもなんでも出来るし、自分を縛り付ける組織もない、とかじゃない。
さすがに大学6年生は考えられないから、単位取得に必死だし、みんなと同じような支出額なのに固定給じゃないからバイトもかなりしなきゃいけない。学費の親への返済も控えてるし、何より甘えた生活を送ろうもんなら、今の俺の現状を受け入れてくれた親に向ける顔もない。
俺だって生きるのに必死だし、固定された居場所が自宅しかないから、社会性も消えていきそうで怖い。
今ザーッと書いてて、これが俺が留年で失ったものなんだろうけど、実はそこまで悲観的では無くて、
やっぱり得たもの「自由」がデカすぎる。
さっきから書いてる「自由」。
それは、将来の自由。
概念的に説明するなら、俺は産まれて物心ついた時には既にハッピーライフ行きの急行列車に乗り込んでいて、これまで途中駅には目もくれずただ終点を目指していた。運転するのも俺だし、乗客も俺。ときどき車窓を覗けば、急行列車には快適さも速度も絶対に敵わない自転車を漕いでる人がいたり。
結局、俺にはその急行列車を運転し続ける能力は無かった。
だから「留年」という駅で途中下車することになってしまった。
別に利用者も一定数いる駅だし、交通の便も全く悪くない。
さっきから俺は「留年」をあたかも「悪」のように考えているように見えるかもしれないけどそんな事はなくて、始めの方に書いた通り俺はこの留年に明確な目的もないし、そもそも予定に無かったし予定にする気も無かった1年だから、うーん、何て言ったらいいか難しい。前向きな留年も勿論あるし、俺も留年浪人うんぬんは悪い事だとは微塵も思ってないし、でも、俺は留年することを決めて親に迷惑をかけているし、多少なりの気後れはあるし、置いていかれた感もある。伝わるかな、伝わってたら嬉しいけど。文章が行ったり来たりになってしまって申し訳ない。
つまり俺はその急行列車から降りた。
今まで、「降りずに終点を目指し続ける」という選択肢しかなかった俺に、無限の選択肢が生まれた。
駅のホームで1年待って次の急行列車に乗り直したって良いし、その場で一旦寝てみても、別の駅に向かってみても、飛行機に乗ってみても、散歩しても、自転車に乗って寄り道してみても良い。
分かりやすく言えば無限の可能性、自由を得た。
というか、無限の可能性を選択できる立ち位置になった、という方がきっちり当てはまる。
今のところ、これからのことは未定で、今はまだ降りた駅から見える景色を隅々まで観察してみている。見たことあるはずの景色が違って見えていて、それはそうか、今までは車窓越しだった全てが、直接視界に飛び込んできている。
匂いもするし、音も聞こえる。俺はもう少し観察していたいと思った。
俺のこれからを決定付けてくれる様なヒントがどこかにある様な気がしてならない。
・ツモも積もれば塵となる(?)
積もる話があるよな、みんな。
「俺だって大変な生活を送ってる」的なことを上で書いたけれど、やっぱりまだ学生である分融通は効く。俺はみんなの積もる話をたくさん聞きたい。どこへだって行くし、どんなお酒だって付き合う。それが学生の特権である気がするし、やるべきことでもあるような気がする。5年目の青春にしてやっと気が付いた。
ああ、大学内での口数が皆無な分、noteに打ち込む手が止まらない。話し相手、友達、いや彼女ほしくて草。同じ大学で週2回くらい会って一緒に昼ごはん食べる彼女が欲しいです。でも俺は図工が2なので彼女の作り方が分からない。と、以前ボケたら「物理です!」ってツッコんでくれた。物理学科に入ればよかった。
でも、経済学部の必修単位は全部取り終わってるから、今は社会学とか、文学の講義を受けてる。そりゃ眠くならんし面白いわ。
このnoteが俺と同じく一人黙々と真面目に授業を受けている淑女に届いたりしないかな。ご存じの立教生がいる方はぜひこのnoteオススメしてあげてください(しない方がいいです)。
結局何が言いたいのかというと、「与太話を気軽にしてぇ」ということです。俺が見ることの出来なかった景色、俺だから見ることが出来た景色、まったく知らない世界、知っていたようで知らないことだらけだった場所。
価値観、情報の共有が人生を豊かにしてくれると信じてます。
・俺が「」と言う時
気が付けばだいぶ長い文章になってしまった。ここまで読んでくれてありがとう。
普段は社会問題とか概念とか、哲学とかについてばっか書いてる俺の、私生活&お気持ちさらけ出しnote。意外だった人もいるかもだし、途中で頷きながら読んでくれた人もいるかもしれない。
こんな俺、そんな俺、どうしようが俺は俺が嫌いになれないのが悩みどころです。
俺も君も、お互い気張って健全に生きていこうぜ。
書き始めから2週間たってここまでたどり着いた。
今は8号館202教室。白髪交じりのおじさんから細胞と免疫の話を聞いています。
俺の5年目の大学生生活はまだ始まったばかり。
「ごめんね、青春。」
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俺が大学で誰かに「おはよう」と言う日は来るのか?
俺が誰かに「助けてくれ」と乞う時は来るのか?
俺が「留年して良かった」と言う時は、「留年なんてするんじゃなかった」と言う時は来るのか?
全ては半透明で不明瞭でも、
意思と自分だけは確固たるものでいたいな。
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終わり。
新学期始まってからまだ一滴もアルコール摂取してません。健全だネ。
気分は19歳の新入生……
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