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フォアユウ


この、余りにも広過ぎる世界で、私は私を生きている。自らの意思で訪れた場所、偶然立ち寄った道、気がついたら通り過ぎていた駅、そして、言葉を交わした人々。その全てが積もり、混ざり合い、私に成る。人生は一筋縄では無い、とは良く言ったもので、幾多の縄が結ばれ解かれ出来た何かを、遠目に人生と呼ぶのだろう。私が私足る全ての場所を、人を、感情を、愛している。「自分は何故に生きるのだ」という在り来りな問に、私はこう応えたい。


形成

・意識下で、一緒にいた。意識がハッキリとしている今、一緒になることは全くと言っていい程無くなってしまった。天真爛漫に見える彼は、実は誰よりも悩んでいた。そんな事に気付けなかった思春期の私達を思い返すと悔いが残る。今となっては、私より立派な人間だろう、自分なりの表現で自分を輝かせている。本塁打が打てなくたって、堅実に盗塁を刺してくれるなら、素晴らしい捕手であろう。

・私に出来た初めての好敵手だった。表と裏。月と太陽。まるで同じ核から産まれた二つの相反する元素のように、目指す場所を同じくして全く違った振る舞いをしていた。彼は、二人を足して半分に出来たら良かったのに、と言った。私も確かにそうだと思う。互いが互いの全てを共有しながら、羨望していたのだ。全てが過ぎ去った頃、再び、話をした。私が苦しんでいた時、彼もまた苦しんでいた。私で駄目なら彼でも駄目、彼で駄目ならば私でも駄目だったのだ。矢張り、私と彼は背中合わせの光と闇だった。

・遠いようで近くにいた。季節が一周する頃、私は彼と会う決まりになっている。時の流れが距離を遠ざけても、離れないものがそこにあった。それを私は毎年彼の態度で思い知る。燃え盛る記憶の前で、二人は心の中で高らかに正義を叫ぶのだ。凜とした表情で。

・私と彼は一度も同じ共通項を持ったことが無い。九年もの間、六回の機会があってもだ。それにも関わらず、いつも隣にいた。隣で自転車を漕ぐ姿を飽きる程見た。きっと彼もまたそうだろう。別に同じ趣味があった訳でも無かった。だからこそ、二人で一緒になって面白そうなものを探し、片っ端から触っていった。この関係は今でも変わらない。私の下らない提案を、一緒に笑って受け入れてくれる。意味もなく麺類の名前をただ叫んだり、狂ったように日が昇るまで歌い明かしたり。今でも、余りに近くにいるせいで、特筆事項が思い浮かばない。但し、私はここで一つ明言しておきたいことがあるのだ。こんなにも一緒に居るにも関わらず、私と彼は二人で旅をしたことが一度もない。「二人で」という条件を取払ったとしてもだ。前述した通り、同じ関係性を持ったことがないため、集団でのそれもない。何故私と彼は仲が良いのか?いや、仲が良いなどという尺度ではないのかもしれない。親友でも、家族でも、相棒でも無い。彼を表すためには「私の隣にいる」で充分なのかもしれない。


変遷

・私の前に颯爽と現れた彼は、まるで山野を駆け回り鬣を風に煽らせる馬のように不安定だった。真反対、としか形容できない人間が良く存在したもんだ。そんな彼と、私は人生で最も共に汗を流した。来る日も来る日も、二人して馬鹿みたいに切磋琢磨していた。はじめは、彼の広げきった趣味が、私の潜在的なそれを掘り起こしたことで一緒に居た筈だった。しかし、いつの間にか欠かさず隣にいる存在になった。何かと順序を付ける世界ではあったが、私達は自らそれを定義するようなことを二人して避けていた。勿論、口を合わせた訳では無いが、きっと、二人はそう思っていた。時は過ぎ、私はチームのキャプテンに、彼はエースになっていた。そんな二人が、あのだだっ広い体育館で飽きずに駄弁を繰り返し、気が付けば誰も居なくなっているそこを後にする事もざらだった。彼は私に漫画の主人公のような人生を送らせてくれた。私が皆の前に立つ時、彼はいつも私の目の前に立っていた。誰が決めた訳ではないが、それがお決まりの景色だった。最後の日、私達は二人の横を通り過ぎるそれを認識し、二人で同時にあの体育館の床に突っ伏した。もう腕は上がらなかった。勿論悔しかったが、それよりも清々しかったことを覚えている。煌々と輝く天井からの光を瞼の裏で感じながら、隣で同じように横たわる奴の息遣いを感じながら。人生に青春と名の付くタイミングがあるのだとしたら、あの瞬間だろう。確かに、間違い無く、二人は主人公であった。

・全身の黒さとは対照的な白い肌。私の左斜め前に座る彼は、独特な空気を内に溜めていた。いつも白いスニーカーを履いていた。同じ生活ルーティンを共有するものとして、年相応か、若しくは年甲斐も無い様々な経験を共にした。放課後、二人で様々な場所に足を運んだ。隣の駅、知らない街、互いの家。大それたことは無いが、悪い事もした。二人仲良く怒られもした。この一年で本当に色々な経験をした。楽しい事も、危ない事も、全てが新鮮だったから。

・教室の隅で、彼の周りだけ違う風が吹いていた。貫禄、余裕、練達、まるで新入生とは思えないそんな風が。初めての整列、彼は隣に立っていた。同じ位の背丈と、内に秘める何かに惹かれたのかもしれない。私は彼に声を掛けた、筈だ。付かず離れず、当時はそんな関係だった。当時の私達にとっては充分条件であった帰路を、はじめ彼は共にしていなかったのだから。少し先に彼が一つ歳を重ねる頃、私と彼の関係がもう一年約束された。藤色の教室から、後に加わるもう一人と三人で、同じ帰路に着くことが増えた。太陽が一年で最も高く昇っていた時、私達はふいに彼の地元に行くことになったのだ。恐らくこれが、全ての始まりになるとは微塵も知らずに。彼とのあれこれは言葉にして記すことが難し過ぎる。隣で出逢い少し遠くにいて、距離が離れ隣になった。背格好が似ていて、嗜好も似ていて、色々なことを一緒にした。私と彼の関係は、私自身から自筆することができない。隣に並ぶ私と彼が、皆の瞳にどう映っていたのか。どう映っているのか。皆のみぞ知る、という事にさせて欲しい。一つだけ分かっている事があるとしたら、彼の果たせぬ想いがあるのだとしたら、私はそれを継ぎたいという事だけだ。

・まるで出逢うべきだったかの様に、心の奥の部分が共鳴している。価値観も思考回路も似ていて、でも、哲学が異なっている。私と彼は源流を共にしているものの、違った哲学の祖なのだ。哲学が違っていても、相互理解は勿論出来るし、互いが互いのそれを認め、尊重し、讃える。素晴らしい友情の形だと思う。そんな哲学者の彼は、前項で言及した”後に加わるもう一人”であった。人は悩む。己がそこにあるとわかっていながら、また別の己を意識してしまう。「自分」についてよく考えている彼は尚更だったらしい。半ば強制的に別の己を哲学しなければならなかった彼は、当時、その哲学に食われていた。択一の幸だった。そう、私とは、哲学が違っていたのだ。彼の中で息を潜めてしまっていたものを、呼んで起こしてあげられた。だからこそ、結果として彼を救うことが出来た。私は、只自分のことを話したまでで、それを大きなものだとは捉えていなかった。しかし、後にこの結果を彼から聞き、また自分の人生が大きく肯定されたのも事実だった。私の哲学は誰かを救えるし、彼の哲学は死んでなどおらず、また輝く為に、そこにあり続けたのだ。「神は死んだ!」と、或る人は叫ぶ。私と彼は声を揃えて叫ぶ。「私達が、生きている!」

・共有しているものは、魂。数字がそう証明している。私が持っていない実直さと繊細さを彼は持っていて、彼の持たない曲線と大胆さを私が持っている。彼との無いものねだり的な唯一の友情の形が、私は心地良い。彼は、私の存在意義をよく伝えてくれる。こんな幸福があるだろうか。彼といる時の私は、少し浮ついてしまう。そんな包容力と心地良さがやっぱりある。いつ帰っても、暖炉が暖かく燃えるような、長い手足と大きな心で私を包むのだ。そんな、少し畏れ多くも感じる空気感を彼に感じているのも、神の定めた三百六十五分の一を共有しているからかもしれない。恥ずかしい話だが、彼は私の泣き姿を知る数少ない友人の一人だ。人前では滅多に泣かない。彼は、もう一人の自分なのかもしれない。もし、二人が同時期に生きていなかったら、私は彼に、彼は私に、死後生まれ変わるだろう。

上京

・突然の出逢いこそ、先が深いのかもしれない。そんなことをここに書かせてくれる、白色の向日葵みたいな人だった。何色でもなくて、それでも燦燦と花開いていて、春一番みたいな、強い風に吹かれた出逢いだった。風は、その時にしか吹けない。けれど、私にはその感触が忘れられなかった。というよりも、その風の心地を勝手に覚えて、忘れられないでいた。季節が何度か周り、その忘れられない風が、また私の後ろ髪を掠めた。彼女は白色の向日葵のままだった。私はその事実に勝手に安心して、嬉しささえ覚えていた。きっかけは覚えていない。きっと彼女が風だからだろう。いつからか、私は彼女の相談に乗ることが増えていった。彼女が何かほかの色に変わってしまいそうなとき、その花弁を無意味に散らしてしまわないように。私の色にも染めてしまわぬよう、でも、そんなのは杞憂で、彼女は隠れていた自分らしさをちゃんと嚙み砕いていた。今では、彼女だけが分かる自分の色をきっと大切にしてくれている。沢山の色を感じたからこそ見つけられる、名前の付いていない彼女だけの色を、いつか言葉にして伝えて欲しいと、身勝手に願う。彼女の横に咲く、群青色の沙参の花との妙な親和性が、私のお気に入りだ。

・私が左端で、彼が右端。社会の端物同士の二人の間に存在するものは、奇跡的に「無」だった。初めての環境での初めての日、私は彼と出逢った。出逢うように決まっていた。出生も経験も全く異なる二人なのに、似た考えを持っていて、それが初対面で分かる程だった。当時感じた「彼なら信じられるかもしれない」という期待は、今になっても薄れるどころか膨らんでいくばかりで、そういう出逢いを直ぐに出来た私は幸運だったのかもしれない。私達が心の奥で感じた奇跡は、事実をも伴っていたりした。肩書の多い彼を私は尊敬していて、一方彼は、肩書無く生きる私をどう思っているのだろう。その何者でも無さを羨ましく感じていたりするのだろうか。まあそうだとしても心配は無用だ。彼の何者でも無さを保証する存在で私はあり続けるつもりだ。長机のその両端。隣同士でないからこその距離感が産み出す魔法のようなエネルギーを、お互いが良く理解している、世間で言われるそれとは意味も深度も異なる「相棒」だ。

・友人を「兄弟」だと形容することが良くある。私には兄弟がいない。だからその感覚を実体として理解していないが、私がこれまでの人生で「兄弟」なのかもしれないと感じたのは彼一人だ。双子の、兄か弟。同じ教室で向かいに静かに座っていた。謎の一体感に包まれた講義後の移動が続いていく中で、何時しかその人だかりは消えていて、彼だけが傍に残っていた。私の機微な心の動きを彼は知らぬ間に感じ取って、私の思う完璧な形で目に見せてくれる。彼の凄まじい他人愛には都度驚かされているけれど。血統を辿ればすぐ近くで交わっているのかもしれないと幻想を抱いてしまう程、琴線が共鳴し合うのだ。彼もまた、私の泣き姿を知る友人の一人だ。私は、自分自身と兄弟らしい何かに対しては涙を流せるのかもしれない。どんなに近くにいても、遠くにいても、帰る場所がお互いであるような、変わらず存在し続ける確証があるような、でもそれを言葉には出さず、うっすらと感じ取るだけで充分なのかもしれない。何故ならば、兄弟なのだから。彼とは、死ぬまで付き合っていく気がしている。




これから、私は「何故に生きるのか」、その問いの答になる全ての愛に感謝を込めて。僕にとっての全ては主観でしかなくて、六感で受け取ってきた色、香り、温度、風のなびきまで、僕は何も忘却したくは無い。今、その全てをここに記した。名実共に、これが、僕の人生だ。











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フォアミー、これまで。
フォアユウ、これから。






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『フォアユウ』終り

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