ティーンに薦めたい人生の本
私が主宰する設計事務所と私設図書館のお隣の古書店サタデーブックスさんが、先月「ティーンに薦めたい人生の本」というテーマで読書会を開催しました。
テーマの趣旨としては、『もし、高校時代や大学入学したてくらいの時にタイムスリップするとしたら、その時の自分にどんな本を薦めたいですか?
オススメの本を3つ持ち寄って、その本との出会いや、本から得たものをご紹介ください。』ということでした。
私も参加したかったのですが、予定が合わず参加ができなかったので、私の選んだ3冊の推薦文だけをサタデーブックスの店主の大竹さんに託し、私の代わりに本を紹介していただきました。
夏休みは終わってしまいましたが、これから読書の秋という季節なので、本を読みたいけど、何を読もうか迷っているという方には、私の紹介した本を参考にしていただければと思います。
では、早速私が選んだ本をご紹介します。
『下流志向 学ばない子供たち働かない若者たち』(内田樹, 2007)
『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(キャロライン・クリアド=ペレス, 2019)
『ペスト』(アルベール・カミュ, 1947)
『下流志向 学ばない子供たち働かない若者たち』(内田樹, 2007)
この本は私が大学の先生から紹介された本です。当時初めて内田樹さんの本を読みましたが、この本からとても影響を受け、今でも影響を受け続けています。
私は、この本で「学び」とは何かということを教えてもらいました。私がこの本から教えてもらった学びとは、「それを学んで、自分にどう役に立つかはわからないけれど、無性にやってみたくなるもの」「自分が今もつ度量衡では計り知れないもの」だということです。
学びというのは本来、学ぶ以前では想像だにしない地点にたどり着くダイナミズムがあります。
この本では、そうした学びの本質を阻害するものとして、消費者としての振る舞いが紹介されています。消費者として振る舞う子供は、結果として学ばない子供として振る舞うことになります。
消費者は「あたかも自分が買う商品の価値を熟知しているかのように振る舞う」と、この本は指摘しています。現代では家庭内労働が減り、今の子供は労働者的体験よりも先に消費者的体験をします。そのせいで、その消費者的価値観を教育の現場にも持ち込み、授業中ずっと座っているという「苦役」が「貨幣」の代わりとなり、その「苦役=貨幣」に見合う対価を、この授業から得ることができるのかという問いを子供たちは立てます。
そして、「この授業は何の意味があるのですか?」という大人への問いが、クリティカルな質問だと思い込んでしまうのです。学ばない子供たちの学力低下は、消費者的振る舞いによる「努力の成果」の帰結だと、内田さんは説明します。
「なんで学ぶ必要があるのだろう」、「これを学んでみたいのに大人から反対される」という悩みや疑問を持っていたら、ぜひ読んで欲しい一冊です。
『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(キャロライン・クリアド=ペレス, 2019)
この本はイギリスで出版され、去年日本で翻訳版が出版されました。私は今年になって読みましたが、今年一番衝撃を受けた本です。
生物学上、女性は世界の人口の半数を占めているはずなのに、なぜかその半数の女性は「存在しないもの」として扱われているのではないかということを、あらゆる研究データから次々と指摘する本です。
例えば、この本の最初に紹介される除雪作業があります。ここでは、日常の移動パターンが男性と女性で複雑さが全く異なることが紹介されています。男性は朝と夕の出勤だけで、非常に単純な移動パターンです。
世界における無償のケア労働の75%は女性が担っており、スーパーへの買い出し、子供の送り迎え、通勤など、女性の移動パターンは非常に複雑になります。そのせいで徒歩や自転車などを使うのは圧倒的に女性が多いそうです。
除雪作業は当たり前のように線路や車が通る車道が優先的に除雪され、歩道は後回しになります。歩道が後回しになることで、凍結による転倒事故の負傷者は女性が大多数であることがわかりました。
他の章では、音楽楽団に所属する団員の数が男性が多く、それは男性の方が優秀な演者が多いと思われていましたが、男性か女性か分からないように入団テストを行ったところ、女性の方が結果的に多くなったことが紹介されています。
このように、「公平」に扱われていると思っていたことが、当然のように男性ばかりが優位に扱われていることを次々とあばきだす本となっています。
記憶に新しいことだと、日本では2018年に医学部不正入試問題がありました。受験という誰もが平等に点をつけられると思っていたものでさえ、女性は一律で減点されていました。また女性のみならず、浪人生についても減点対象となっていました。
10代の若者に対しては厳しい指摘になりますが、世の中は平等・公平にはできていないということがデフォルトだと認識した方ががいいと思います。
むしろ「世の中は不平等である」という認識があるからこそ、「存在しない」ものとして扱われる人々に目を向けることができると思います。少しでも多くの人が生きやすい世の中になるためにも、まずは厳しい現実を知るために読んで欲しい一冊です。
『ペスト』(アルベール・カミュ, 1947)
カミュの有名な小説で、私がとても好きな小説です。コロナ禍になったことで、読んだ方も多いかもしれませんが、コロナ禍でなくても、おそらく私は読んでほしい小説として紹介していたと思います。
この本はオランという港町にペストが蔓延し、感染が広がらないために町が封鎖され、その中でどんどん人々がペストに感染して死んでいき、また残った人がどうペストに向き合っていくかが描かれています。
コロナ禍の現在の状況と非常に似ています。しかし、おそらくカミュにとっては、あくまで「ペスト」はメタファーであり、どうにもならならい困難に対して、人々がどう向き合っていくのかを小説にしたかったのではないだろうかと思います。
「ペスト」には様々な人物が登場します。医師のリウー、新聞記者のランベール、旅行者のタルー、密売人のコタール、下級役人のグラン、こうした様々な登場人物の群像劇として小説のペストは描かれています。小説のペストには、ペストに打ち勝つ鍵となるわかりやすいヒーローはでてきません。
ペストにでてくる登場人物の中で、私の好きな登場人物のグランを紹介したいと思います。グランは役所勤めのかたわら、小説を書いています。しかし、グランはその冒頭の一文を繰り返し書き直すことを続ける生活を送っていました。グランはペストがやってくる前は、いわゆる冴えない人物だったといえます。
しかし、ペストが街に蔓延すると、グランは今の日本でいう保健所のような機能をもつ保健隊の事務の要を担うようになります。グランはただ今自分ができることをするということで、オランにとっては欠かせない人物となります。
グランに限らず、ペストの小説では登場人物それぞれが今自分にできることをします。コロナにしても、ペストにしても、例えば東日本大震災のような大きな災害にしても、人が生きている内には、一人ではどうにもならない困難に直面します。
そうしたどうにもならない困難に立ち向かう方法は毎回同じで、それは「今自分にできることをする」ということなのだと、この小説を通して教えてもらいました。
あらゆる世代の方にお薦めしたい一冊です。
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