あの世があるとするならば
あの世があると
するならば
№134
2021.08.01
『「生前(せいぜん)」という言葉があります。「生まれる前」と書きます。「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。常識的に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に、「大往生(だいおうじょう)」という言葉があります。
「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。「往生」は、「生(の世界に)往(ゆ)く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。
どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
さらに、「あの世」のほうが「ほんとうの生」の世界であって、こちらの世界は「仮の世」と思っていた節があります』
(小林正観『幸も不幸もないんで すよ』マキノ出版より)
「亡くなったおじいさん(おばあさん)が守ってくれていますよ」と話をされているテレビ番組を目にしたことがあります。
また多くの家では、お盆にご先祖さまをお迎えする準備をします。
あの世があるかどうかを証明することは困難です。
しかし、ご先祖さまが見守ってくださっていると考えるならば、ご先祖さまがいらっしゃる世界(あの世)はあるのでしょう。
あの世があると受け止めるのならば・・・
私たちもやがて死を迎え、子孫をお守りし、新たな生命をいただいて人生(人間界ではないかも知れませんが)という修行に入ります。
その新たな生命の行き所は、今の生きざまで決定されるようです。
今、起こる様々な困難や試練に対して自暴自棄になるのか、
成長するための必要不可欠な出来事なのだと受け止めるのか・・・
そこが、人生の分かれ目かも知れません。
最後までお読みいただき
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