ものの見方を変えてみる
ものの見方を
変えてみる
№139
2021.10.16
仏様は、「誰もが仏になれるのだ」とお説きになられます。
それは、私たちには仏様の性質が具わっているからです。
日常生活のをみると、人のために尽くすことに喜びを感じたり(菩薩)、人との関わりに感謝したり(縁覚)、仏様の教えを聞いて喜びや元気を得たり(声聞)、ともに喜び、お互いを讃えあったり(天人)することも多いことでしょう。
とはいえ、自己中心になって後先を考えずに争ってみたり(修羅)、愚痴ばかりで反省もせず、それを恥ずかしいとも思わなかったり(畜生)、節度のない欲望に溺れてしまったり(餓鬼)、自分の都合で他の生き物の尊い命を奪ったり(地獄)してしまうこともあります。
私たちには「無限の可能性」が具わっています。
その可能性を生かすも殺すも、ものの見方によると思います。
例えば、人にとってはただの水でも、天人であれば甘露の味がし、声聞には身を清める水となり、縁覚は常に変化し形を留めない流れと受けとめ、修羅には襲いかかる豪雨に見え、畜生には恐ろしい洪水として襲いかかり、餓鬼には燃え盛る炎と映り、地獄では氷として突き刺さる。そして菩薩にあっては慈悲の雨と受けとめる。
仏様には、水に限らず、すべてが仏の姿として映し出されます。(泉応寺院主 大坪宣海上人 の布教誌を参照させていただきました)
「幸せになりたい」
誰もが望むことです。
しかし具体的には何が幸せなのかがわからないため、欲望のおもむくままに生きてしまい、迷いと苦しみの中で生きています。
今の状態はどこにあるのか・・・
畜生なのか、修羅なのか、それとも菩薩の心なのか・・・
ものの見方を変えることで、無限の可能性が広がっていきます。
今のあなたの幸せに気づかせていただけると思います。
最後までお読みいただき
ありがとうございます