コーチ編 Part4 『コーチは知的であるべきか』
ご無沙汰しています。
文章を短くまとめる力と、長い文章を書く根気がないため最近ご無沙汰しておりました。
短く、今日散歩していた時にふと去来した私の考えを。
「知的であるべき」
だと思います。
コーチになりたての僕は、とにかくバスケットボールの知識を叩き込み、それを実行することに没頭していました。
選手に自分のやりたいことを押し付けていました。
いわゆる、「頭でっかち」というやつです。
(ちなみに本当に頭が大きくて、中学の通学ヘルメットが入らなかったです)
(ちなみに僕の中学校は時代錯誤の荒れはてた中学校で、入学2日目からは8割の生徒がヘルメットをしていませんでした)
僕がバスケットボールの知識を詰め込むことに没頭したことには理由があって、「バスケットボールが下手」というコンプレックスがあったからです。
大学であれ、プロであれヘッドコーチとして仕事をしている人は元プロや実業団の選手だった方がほとんどです。
そんな方々と比べ、高校、大学と強くもないチームで補欠だった私は強烈な劣等感がありました。そして今もあります。
そんな僕がコーチとしてやっていくのはとにかく勉強し続けるしかなかったのです。大学でコーチをしているときの自分は、手前味噌ですが、自分の同級生とは一線を画する量の勉強をしていました。それこそ寝る間も惜しんでとにかく勉強をしていました。
まとまらなくなってきた・・・・
何が言いたいかというと、コーチにはやはり知的であることが求められます。
でも、アスリートとしてコートでプレイした感覚や経験はコーチを仕事にする人にとってこの上ないアドバンテージです。
僕の感覚では必要とされる割合は知識15%、アスリートしての感覚85%ほどでしょうか。
なので僕には決定的に足りない部分があるんです。
知的であるべきだけど、知的にしかなれない、そうならざるを得ないのが今の私のコンプレックスです。
先日、ここでも取り上げた竹野や、僕が目標としているコーチとの埋めがたい差もそこにあります。
アスリートのプレイヤーやそれらのコーチたちよりもトレーニングを頑張って重いおもりをあげようとするのも、このコンプレックスから少しでも逃げようとしているのかもしれません。
多分それはある。
この「15%」を20%、25%にできるくらいハードワークする所存です。
まとまりませんでした。
以上