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【サラリーマン生活回顧⑪】激痛からの激震
大阪勤務とはいえ担当エリアは沖縄を含めた西日本全域に及ぶため、すべてのユーザーに挨拶回りするのに2ヶ月以上を要し季節は冬になっていた。
正月も関西でゴロゴロと過ごし初出社日、歯磨きをしていたら腰に激痛が走った。
あまりにもゴロゴロしすぎたせいか、ふと気を抜いた瞬間にぎっくり腰になってしまったのである。
初めてのことだったので最初はそれがぎっくり腰とはわからず嫁が腰を槍で刺したのかと思ったくらい。まさに「魔女の一撃」という表現が当てはまるなと激痛にのたうちまわりながら思っていた。
年始初日ということもあり、なんとか出社したものの一旦座ったら立つこともできず、一旦立ったら座るのも時間がかかるナマケモノのような動きしかできないため、一通りの挨拶だけ済ませて早退させてもらった。
梅田駅から自宅へ向かう阪急電車は空いていた。こんな状況で立っているのも不自然なのでのっそりと座ったところ、今度は自宅最寄駅が近づいても立てない。柱に捕まりながら立ち上がった時にはすでにドアが締まり発車してしまったので一駅乗り越す羽目になった。
そのまま整形外科に駆け込み注射を打ってもらったら幾分腰の緊張は和らいだのだが「1週間は安静にしてなあかんで」と言われ新年早々年休取得となってしまった。
2日ほど休みをもらい、新年の挨拶回りも一通り終えた1月17日未明、今度は体全体に衝撃が走った。
午前5時46分、関西地方を襲ったマグニチュード7の激震はのちに阪神淡路大震災と名付けられる当時としては戦後最大の被害をもたらした大地震の発生である。
電気がつかないのでジッポのライターの灯りを頼りにまず溢れた水槽から飛び出した金魚を救出し、倒れた食器棚からこぼれ落ち割れた食器類を掃き通路を確保し、浴槽に入るだけ水を溜めた。この水を溜めたのがのちの断水の対策となる役割だったのだがそのようなことは考えず不意に取った行動、まさに火事場の馬鹿力というのがこれかもしれない。
当事者としては「でっかい地震だったな」と思う程度、何せテレビもつかなければラジオもないので何の情報もないのが現地の実態である。
数時間後東京から電話が入ったのだが「大丈夫か?」どころか「やっと繋がった、生きてるか?よかった!」という話ぶりにようやく事の重大さを認識した。
高速道路の倒壊や火事の映像を見たのはその日の午後のこと。この事件が大阪の仕事の一つの転機をもたらすことになる。