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【サラリーマン生活回顧⑧】昭和のチャラ男、父親になる:前編

バブルとはいえ年がら年中飲み歩いていたわけではない。
モノが出る限りアフターサービスやクレームはついて回るため、私は担当エリアである北関東方面へ毎日車を走らせ特約店や工事店、時には施主対応に奔走していた。
特に当時は高速道路網も今ほど整備されていなかったので群馬県や栃木県の北部を訪問する際は大概泊りがけの出張となる。担当エリアの中でもこの辺りが主力であったので週のうち3〜4日くらいは常に出張だった。
出張から戻ると上司が待ち受けていて「おう!お疲れ!飲みに行くぞ!」と拡販会議と称した飲み会に連行される。
一応新婚という時期ではあったがここでも上司は「どうせ家に帰っても風呂入って寝るだけだろ」とこれまた独自理論を展開し私にお断りするという選択肢を与えない。
従って家に帰って嫁と晩御飯を食べるのは週に1日程度。休日もぐったりとしている状態だった。
なのに何故か嫁が妊娠した。

その日は朝から腰が痛いと言っていた嫁だがそれが陣痛であることを知らなかった私はのこのこ出勤し1日の業務を終え部内のメンバーと行きつけの店で焼き鳥をつついていた。
そこへ母親から店に電話が入り嫁が出産に入ったようだから帰ってきなさいと伝えられた。
当時は携帯電話などないので、我が母親は息子が飲んでるような店はここに違いないと見切ってかけてきたのである。

上司にその旨を伝え、先に帰ると申し入れたところ
「馬鹿野郎、お前が帰って何ができるんだ。せっかく今鴨の燻製焼き頼んだところじゃねえか、せめて食ってから帰れ」と言って帰してくれない。
その間、どうせそんなことだろうと全く私をあてにしていない嫁は自らタクシーを呼んで病院に行っていたらしい。

名物鴨の燻製焼きを片づけた頃「よし、お前も今日から父親だ。家庭も仕事も一丁前になれよ!行ってこい!」とようやく帰してくれる雰囲気になった。
しかし「いや、ちょっと待て、俺から差し入れだ」と言って
「おーい、焼き鳥10本、土産で焼いてくれ」と、またもやアデイッショナルタイムに突入。焼き上がった頃は母親の電話を受けてから2時間ほど経過していた。

そのままタクシーに乗り病院に駆けつけたものの嫁は既に分娩室に入っており、「ご主人はここに居られても何もすることはないので一旦お帰りください」と上司が言っていたようなことを言われた。
なるほど、上司もあんなだけど一応人の親だったからこうなるとわかっていたということか。


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