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体が変わって別れがあって

体が変わる。

それは体の状態であったり、行動パターンであったり。

システマ的に言えば、蓄積した緊張をリリースしたり。

そうやって身体が変われば、日常が変わる。体が変われば思考が変わる。とっさの判断が変わり、価値基準も微妙に変わってくる。

逆にそうした変化が起こらなければ、身体そのものが変わっているとはいえない。

自分の慣れ親しんだ世界に浸っていたければ、体を変えなければいい。そうやって頑なに体を変えずに、ただ老化するに任せている人は思いの他多い。その大多数は自分のことを「発想が柔軟」とか「冒険心がある」とか思っていたりするのだけれども。

体が変わればものの見方が変わる。目に映る世界が変わってしまう。

すると自ずと人間関係も変わる。

その「変わる」は必ずしも、みんな仲良く円満に暮らせるようになるわけではない。むしろ逆で、身近な人が離れたりする。あるいは自分から離れたくなってしまったりする。つまり別れが起こる。

体が変わると、別れがある。

全然関係ない感じがするのだけれども、僕の周囲にはそういう例がしこたまある。僕もそう。学生時代の友人とか全然つながっていない。それはやはり、皆が知ってる僕は昔の体の僕だからだ。その前提で接してくる人たちと会っても、お互いに違和感しかなくてもとても気まずい感じになる。

固まった胸が稽古を通じて動くようになると、風邪をひく。

僕が昔いた古武術の稽古会ではそういう事例が多々あった。だから風邪を引くことが、胸を動かす練習がうまくできていたかどうかという基準になっていた。今思えば、胸を動かすことで潰れた肺胞がほぐされて、中に溜まっていた老廃物が出たりしてたんじゃないかと思う。

その意味では、人間関係が途切れたら、稽古がうまくいっているってことなのかも知れない。

体を変えれば人間関係が変わる。

それがいい事か悪いことかはわからないけれども、なんだか変わる。

そして変わったあとには、本人がより納得できる人間関係が再構成される。

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