片耳失聴当事者ってね
最近、「片耳難聴」なる言葉を知った。
朝ドラ「半分、青い」のヒロインが片耳の聴力を失ったという設定だったこともあって、片耳が聴こえない、聴こえていないという人達の存在が知られるようになってきたように思う。
僕の右耳は完全に聴力のない片耳失聴。聴神経がイカれているので、補聴器をしても意味がない。
さらに目も悪い。「仮性近視はいずれ治る」というのを信じて、メガネを掛けるのを頑なに拒んだのだけど、「成績が落ちるから」というしょうもない理由でメガネ生活を強いられたお陰で視力が固定し、強度の乱視兼近視になってしまった。
幼い頃、視力が良かった頃の記憶はおぼろげにある。三日月の影の部分のクレーターも見えた。あの時の視力はいくつくらいだったのだろう。
でも右耳についてはそういう記憶がない。物心つく前に聴力が失われたからだ。ほぼ先天性である。
だから両耳が聞こえる場合との比較ができないし、片耳で不便だと思うこともそれほどなかった。それが普通だったから。
でも片耳失聴についてぼちぼち調べてみると、自分の性格的なものだと思っていたことのいくらかが、聴こえない右耳に由来するのではないかという気がしてきた。
例えば僕は大勢の人がガヤガヤ話す場が苦手だ。集団での雑談に加わることが出来ない。途端に黙り込んでしまう。片耳だと、これがとても負担なのだ。片耳の場合、音の方向や距離感が分からない。だからどこの誰が喋っているのかを声色だけで判断することになるし、そこに他の人の声がかぶるともう分からなくなる。それに自分の右半分の音は聴こえはするものの、言っていることを正しく拾えるほどクリアに聴こえているわけではない。
残る一つの耳で全員の声を聞き分け、かつ話を追うのはなかなか疲れる。その上、いつどこから自分が話しかけられるかわからない。だから話に加わってない人に輪の外から不意に話しかけるような状況にとても弱い。「北川さんに無視された」と感じた人も少なくないようだし、それがきっかけで遠のいた人もいるだろう。
またマンツーマンで話していても、たぶん僕は相手の言っていることの7割くらいしか聴こえていない。周囲が騒がしいとその割合はさらに下がる。7割だと残り3割を読唇や前後の文脈で補いつつ、何事もないかのように話を続けないといけないので、これもなかなかの負荷だ。
よく聞くためには聞こえる耳を相手に向ける必要があるのだけど、常に変な方向に身体や首を捻らなくてはいけないから、やはり長時間は向かない。じわっとした疲労が蓄積していく。
あとは音楽が聴こえない。特に困るのが凛として時雨みたいなツインボーカルのバンド。あるいは椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」みたいなデュエットもの。こういう曲は左右で歌っているよう聞こえるようになっているため、ヘッドホンで聞くと片耳からしか聴こえてこない。一人の声がやたらでかい割に、もうひとりの声がまったく聴こえてこないということがおこる。
こんな感じなので、話すよりも書くほうが楽。行間を読むのが好きなのも、話すより文章で書く方が得意なのも、片耳であることの影響が少なからずある気がする。文章は耳、関係ないしね。
システマには、目をつぶって部屋を歩き回ったり、気配を感じたりするワークがある。これをやった後にある人がこんな感想を言ってくれた。
「目を閉じても耳を澄ませば、気配が分かる気がする」
こういうふとした時に、みんなとの隔たりを感じることがあるね。
ああ、この人達は見えなければ聞けばいいって発想なんだ、って。
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