見出し画像

婚活の主体性とは何か(出会う人と、出会うだけ)

31歳の独身男性。婚活をしている。それが私である。

何のために結婚したいのか?

結婚とは、二人の関係性が、社会的になるのである。それは二人で、ただいる、というだけでなく、家という関係性、勤めている会社、地域社会、あらゆる場所に、結婚という一つの契機を経て、自分自身が、そして二人の関係性が、社会性を帯びるということなのである。

私は何を言っているのか。簡単である。人は社会的な生き物だ。しかし人が生まれて、大人になり、死んでいく過程で、必ず人は社会の中で生きるということになる。ヒッピーも結局は、近代に生まれたら近代社会の恩恵なり罪悪なりを受けて生きる他ない。ヒッピーでもウクライナや中東にいれば戦果を免れない。近代は(戦争を行う)人間が、地球の全てを覆う時代なのだ。(分かりやすく言うと、地球何個ぶんを一瞬で破壊することができるのが近代なので、要は、この社会の外側は、ないに等しい)

つまり、社会の中でしか僕たちは生きることができない。しかし、自分自身が、二人の関係性が、社会性を帯びるとはどう言うことか。

その前に考えてみよう。

独身で生きている人がいる。彼らの中には、個人主義で、自由なのが好きだから、という理由で生きている人がいる。

しかし、本当の自由は個人にあり、結婚したらその自由がなくなる、という考えは、レベルの低い自由の概念ではないか。

私は、個人は組織の中にしか存在せず、関係の中にしか存在しないと思っている。

従って複数人で暮らす=個人主義がなくなる、ということはありえない。

私はこう考える。

本当の自由とは、自分のやりたい放題やることだ、ということではない。むむしろ、あらゆる制約の中に、その制約を超えていく契機が現れる。そしてその制約を超え続けることだけが、自由なのではないか。
自由とは、名詞ではなく動詞なのではないか。

結婚すると、一人でできていたことができなくなる、と嘆く愚かな男性が私の周りにもいる。

しかしそういう男性は大抵、家族やパートナーがいる幸せについては話そうとはしない。

もちろん、彼らはそれらを感じていな訳ではない。しかし、その幸せを十分に発展させる術を持たないのだ。

幸せを発展させるよりも、欠落を嘆く方が楽なのだ。

私は結婚したら、そのような制約を楽しみにしている。そこで自分がどんな制約の超え方をするのか。また、そのパートナーとの関係だからこそ現れる自分自身の本質を、是非とも見てみたい。












いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集