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現代の預言書 HUNTER×HUNTER

岡田斗司夫さんのこの動画にインスパイアされたので、HUNTER×HUNTER玄人向けだが、ちょっと考えたことを書いてみたい。

人間が個人主義的で、蟻(などの人間以外の生物)は共同体的、というのは普遍的なモチーフで、それがこんなにも分かりやすく、ドラマチックに漫画で表現できるのは凄いと思う。

歴史哲学の観点から見ると「個人」という概念が人類史上明確に、存在様式(生活の中に)として出てきたのは「近代」とされていて、それまでは「村」に代表される共同体の決定が個人の意思よりも優先されていた。

メルエムは”弱者”が持つ”悪意”に気付かなかったから、「弱者代表」のコムギがなぜこれほどまでに”強い”のかを理解したかったんじゃないかな。(ココリコに秘められた、人間だけが持つ悪意=親殺しまたは息子殺し=ギリシャ悲劇に通じる個人主義の萌芽=キリストの弟子との巡礼(集団主義)とユダの裏切り(個人主義))

そこにこそ、メルエムからしたら、自分がどれほど物理的に強くなっても、書物を通して学んでも、絶対に理解できないものがあると直感していたのではないか。

メルエムが人間の個や社会集団が孕む”矛盾”を理解できない(なぜあんな弱い者がこの国の王なのだ、と言って一瞬で王を殺すというところに表現されているように)のは、人間が持っている「自我」(矛盾の核心)を蟻は持っていないから。(蟻には個人主義などないから。あくまで、王こそ種の保存に必要不可欠な存在で、王がいなくなれば、彼らは存在意義を失うか、自らを王として地方で生き延びようとして、人間の悪意にも気付かず、人間と協力関係を築くこともできず、容易に敗北する。逆にいうと、人間と協力関係を持って生き延びる蟻が描かれるが、それは人間の時の記憶があり、かつ、それを受け入れてくれる人間がいる場合、という奇跡的なケースであるということが作品中で示されてもいる)

一方で人間社会は、近代になり王の首を「すげ替え」て、国民に主権を持たせ(蟻の社会が弱い蟻を階級の最上位に置くわけがない)、かつそれぞれに「自由」(思想の自由、という人類史上、権力者が絶対に手放さなかった自由)を与え、憲法で国を縛るという形を整えさえしている。

しかし今の世界はそういったフランス革命以降で掲げた近代社会の枠組みをぶっこわそうとしているマッチョな国が幅を利かせ、あらゆる自由主義・左派陣営は超合理的な右派の前に誰一人としてまともな代案を出せていない。

「自由」という名の下に、資本を持っている人間が一人勝ちしているような幻想を抱かせ、行動経済学的マーケティングで人々を洗脳することで、あらゆる日本人を資本家(日本の場合は、大企業の大株主=アングロサクソン・中国系資本) の奴隷として働かせることに成功している。(そしてNISAでまた、日本の貯蓄はアメリカに流れ、大衆はさらに養分と化す)

要するに、メルエムという理想主義者・左派の代表が強大な力(軍事力・核武装)を持ったとて、「たくさんの弱者(大衆)=近代社会の主人公」には到底勝つことができない、という暗示(または普遍的なメッセージ)でもあるのではないか。

そしてこれら(メルエムという物理的にも最強の理想主義者と、悪意の塊となることが許される個人主義を保障された無責任な弱者集団)を止揚しているのは、そうした「たくさんの弱者(大衆)=近代社会の主人公」を束ね(イーロンがXを買収したように)、かつ、物理的に莫大な富とテクノロジーを生み出している(欧米の超大富豪たちは自らの富をイーロンに全てギブする人が何人もいる)両者を兼ね備えた存在。s

そうした存在とは誰なのか。無限大のリソース(暗黒大陸=現実社会にとっての宇宙)に漕ぎ出す特殊な能力を持った人間たち(暗黒大陸出身者=テック・リバタリアン/レプテリアン?)なのではないか?とも思えてくる。

ハンターハンターは今の世界の先進国の状況を10年以上も前に予言しているとも言える。

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