本当に美しいものは金にならない 「盗作」と「だから僕は音楽を辞めた」

「母さん、仕事続けられないって。ガラスは、お金にならないんだって。」
恐らくここには作者の世の中に対する不満の意が込められている。
「盗作」の小説の一節から分かる通り盗作家は母親のガラス工作物を美しいものとして認めている。教会の窓などに使われるはずのそれははんだ付けのために金属線を用いていたり、特殊な工具でガラスを割ったりと様様な工夫がなされており、創作物を作るにあたって得られる一種のカタルシスであり、美しさの一要因としての役目も果たしている。とても美しいものだ。
盗作家の盗作によって産み出された音楽は本当の意味で美しいものとは言えない。全て他人の為に作られ、自己の主張も心も無いからだ。また、念の為言っておくがこれは盗作自体を否定している訳では無い。本質的な価値の問題である。
さて、近代の傾向として、聴衆が意識し、金になる音楽はメロディが耳の養分となるものだ。歌詞も心も主張も大して問題では無い。歌詞なんて何でもいい。聴衆は皆音楽をラディカルな芸術観で見ていない、眼が開いていない、心もない。だから不特定多数の他人の為に作られた曲は売れる。
「だから僕は音楽を辞めた」にも同じような思想が入り交じっている。これは世間と自分への嘲笑、やるせなさが含まれている。
「正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ」、「ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ」この二つの節の「防衛本能」は自分の人生の判断や愛を他人の作った歌に任せきりにして逃げて自分を守っているという意味合いが見て取れる。また、そんな他人の人生を守るような他人の為に作られた曲が売れている。
もうどうでもいい、考えても分からない、人間なんか嫌いだ、歌詞とか適当でもいいだろ…

作者はそんな現実を眺めている。美しいものを知りたい。金は足りない。妬み嫉み愛憎。盗みが正当化されて行く。
金は欲しい