奨学金のマーケットは「救済」ではなく『エンパワメント』の文脈になる話
少し前に「奨学金のマーケットは救済ではなくエンパワメントなのではないか」という趣向のツイートをした。
エンパワメントは、個人や集団が自分の人生の主人公となれるように力をつけて、自分自身の生活や環境をよりコントロールできるようにしていくことである。 エンパワー(empower)という単語は、もともとは「能力や権限を与える」という意味である。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/glossary/Empowerment.html
要は、みんなある程度のお金があったら自分固有のスキルセットを伸ばす方向にリソースを配分した方が期待値が高いよね。みたいな話だと思ってくれると嬉しい。「ある程度 家庭が裕福な家庭に奨学金を!」というと意味のないように思えるが、『数学オリンピック入賞者に孫正義の持つ世界的ネットワークを提供する』というと急に攻守最強感が出てくるのではないだろうか。
実際にこういう取り組みは世界中で行われているし、「奨学金」というワードはそういったエンパワメント文脈で使われることが多くなってくるんじゃないかと予想している。
過去100年間、大学をはじめとする高等教育は万人に開かれたものではなかったように思う。それも、”最も必要としている層が教育を受けられない”ということが起こっていたように考えている。その中の理由が金銭格差はもちろんのこと、ほとんどが『情報格差・選択格差』だと思っている。
田舎と都会では、同じスマートフォンを持っていても検索する回数が都会の方が数倍高いとかいう実験結果を聞いたことがある。これには納得で、そもそも疑問に思った時に「検索する」という選択肢がないのだ。
「地元の先輩・友達に聞くが解決しない」や「学校の先生に聞くも曖昧な回答をされて腑に落ちないまま時が過ぎていく」などが日常の情報入手となっている彼ら(そして過去の私)と、都会に住むティーンエイジャーの優秀さはある程度自明なものになりつつある。
”田舎の人は / 都会の人は”という主語の話ではないのかもしれない。なぜなら、その選択肢を知らないのだから。例えば文部科学省が支援をしている留学サポート機関の「トビタテ」を使えば無料で留学にいくことだって可能だ。
しかし、私たちはその「選ぶに足りる情報を持っていない人たち」の抱える問題を解決することが出来る・し易い時代になってきていることは確実に言えるであろう。今この瞬間に適切な情報にアクセスすることが出来れば、立ち往生したままの人生に打開策を立てることができる。
私自身がそういったエンパワメント型の奨学金を身を持って体感した一人だと思う。クラウドファンディングを”カツアゲ”と見做され、校則違反になりN高に編入したのは私自身である。あれがなければ今の自分はなかったと思うし、自分に関わってくれているすべての人に感謝したい。
そんな私が、進路に悩める学生に向けたプロダクトを作っている。
・自分にあった奨学金をおすすめしてくれる
・募集中のインターンを一括検索
・履歴書やエッセイの添削、テンプレートの提供
主に最初は、進路選択に役に立つであろう以上の機能を提供している。最初に言った通り、「奨学金は救済のもの」という認識はもはや一昔前のものになる。『奨学金を使って自分の進路を広げる』世界線が実現できれば嬉しく思う。
例えば、ざっとあげるだけで
・ハーバード大学などの授業が無料で受け放題な「edX」
・Googleが作成したコンピューターサイエンスの授業が無料で受けられる「Applied CS Skills」
・庭の手入れなど一定のお手伝いをすることで無料で海外の家に住めるマッチングサービスの「WorkAway」
などがある。(他のツールはこちらでまとめています。)
もはや、前時代的な”授業を受けるためには〇〇に居る必要があって〜”という世界線ではない。
次の10年間で大学や高等教育にかかるサービスは無料になっていくだろう。その中で、金銭的な問題で教育を受けることのできない人の割合は大きく減っていくと思っている。”ただそこにある”状態を目指す。