スキゾイドなのか - 2.社会的関係への関心の薄さ
社会的関係への関心の薄さとは、具体的にどのようなことか考える。
対人関係を中心に考えてみようと思う。
「関心が薄い」とはどういうことか
これは自分でも不思議なのだが、スキゾイドの特徴である "無関心" について考えていた時、ふと サイコパス が頭に浮かんだ。
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そして全ての点が線で繋がった映像のようなものが、頭の中に浮かんで見える感じがする。
HSP、スキゾイドとしての感覚、能力的なものなのかは分からないが、この感覚を信じても問題ないと直感する。
(そう思いたいだけ。なのかもしれないが)
同じような経験がある人はいるのだろうか。
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社会的関心が薄く、感情の起伏が少なく、非社交的であるが、冷酷なサイコパスとは全く別である
スキゾイドの特徴として引用の記述があるが、そもそも全く別のものである。
(パーソナリティ障害の一種として見れば、近いものと言えなくもないだろうか)
ただ、サイコパスの「他者に冷淡で共感しない」という部分と、スキゾイドの 社会的関心が薄さ に近いものがないか気になった。
スキゾイドの特徴「賞賛にも批判に対しても無関心に見える」については、wiki以外のサイトで「周囲からの評価に無頓着」と書かれていることもある。
推測だが、つまり「自己肯定感が高い」または「本人は低くも高くもないと思っているが、そのように見える(強いて言えば、高い)」ということなのかなと思う。
すごく褒められても、貶されても、会話の中での意見としては受け入れるが、結局のところ「自己評価が全て」と言えば伝わるだろうか。
私自身、友人から「いい人」と印象を伝えられても、なかなか浸透してこなかった。
「そんなことないよ」が行き過ぎて、「自分はどちらかと言えば悪人だ」とまで言ってしまった。
本当に無自覚に、相手の好きなもの(私自身)を否定してしまっていた。
このことを指摘されたとき、自分で全く気付けなかったことがショックだった。
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言い訳をするなら、
感じ方のズレ、ギャップにより、私は友人を騙しているような気分になってしまっていたのだった。
友人があまりにも純粋に見えて心配になった私は、友人から見た私は「本当は悪い人間かもしれない」と一考してほしかった。
しかし客観的に見てその様子は、相手を自分の思い通りに動かそうとしているようにしか見えないのだった。
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友人を大切に思った結果、間違った言動をしてしまっていた。
他者に対して関心がないのか
上記の私の事例を客観的に見ると、相手と親しくなりたいようには見えない。
私の場合、自ら進んで友達を増やしたいとは思わないが、好印象な相手とは話していて楽しいし、親しくなれて嬉しいとも感じる。
相手のために行動したいと思うこともある。
友人とは共通の議題について各々情報整理をしていて知り合った。
ある時、友人が作成した資料に対して第三者から否定的なコメントをされたことがあった。
私自身はその資料の完成度が高いと感じていた こともあるが、内容とは関係なく 無駄なもの のように言われたことにとても腹が立った。
その出来事について、私は傍観者だったこともあり関与はしなかったが、自分でも 珍しい と思うほどに怒っていた。
スキゾイドは感情の表出が乏しいと言われるが、全くの無ではないと思う。
(文字通り、乏しい だけなのだと思う)
怒るという行動、感情表現については、自分を対象としたことであれば「ない」と言い切れるかと思う。
これは前項でも書いた「周囲からの評価に無頓着」が理由かと思う。
結果的に、生まれてからこれまでにほとんど怒ったことがないので、怒り方が分からないのも理由ではある。
(近い理由で、喧嘩(口論)の仕方もよく分からない)
仮に理不尽な思いをぶつけられるようなことがあったとしても、相手が言いたいことを言い切って場が落ち着いてくれるなら、喧嘩をするよりその方が望ましいと思う。
相手の話し方等々から "この人は私を嫌っている" と感じれば、以降は相手のためにも交流を避けるようになるだけのことだし、私のことを思って助言をしてくれているのだと感じればありがたく話を聞く。
周囲からの評価に無頓着
改めて、この特徴について考える。
まず、私の感覚は以下のようなものである。
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仮に、制作物に対してのコメントとして
褒められたとき:
自分では納得のいかない部分もあるが好評だったようだ。
(自己評価も高ければ、相乗効果で機嫌が良くなる感じはある)
貶されたとき:
この人の好みには合わなかったようだ。
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どちらも少し他人事のようではあるが、評価自体は受け入れていると思う。
友人から「いい人」と印象を伝えられた時も同じような感覚だった。
ではなぜ、友人の好きなもの(私自身)を否定してしまったのか。
無意識に近い部分だと思うので推測になるが、
私は思考を開始すると感情を切り離してしまうのが癖なのかなと思う。
友人の発言をきっかけに「自分はいい人なのか」と考えた時、客観的に見て悪いところに注目し、それを単純な感想のつもりで口にしてしまったのだと思う。
思考中は、友人が私に好意を抱いていることを含む全ての情報を 判断材料 としてほぼ均一(優先順位なし)に見ているかと思う。
何か課題に取り組む場合には、感情に流されず客観視できることは長所と言えるかと思うが、対人関係で感情を無視するということはつまり "相手に無関心" ということになるのではないか。
これは短所というよりも欠陥に近いように思う。
※
本当に他者との交流を望まない人、私と同じ感覚に困っていない人のことを否定するつもりはない。
ポジティブに捉えれば、スキゾイドは「客観視のプロ」と言えるかと思う。
子供の頃から自分には何かが欠けているような気がしていたが、答えはこれだったのかもしれない。
とすると、私の改善すべき点は見つかったことになる。
(この問題が解決した時、私はスキゾイドではなくなるのだろうか)
別に問題ないだろう。と考える人もいると思う。
HSP、スキゾイドとしての癖なのか、日常的に人間観察をしてしまう中で自分は学友、同僚等々と何かが違うような気がしていた。
組織の中で平穏に過ごすために、周りに合わせようとした結果気付いた相違点だったのかなと思う。
結論
「他人に関心がないか」
という単純な問いへの答えは「ある」だと思う。
診断基準の説明通り「賞賛にも批判に対しても無関心に見える」というだけである。
個人に対して自分から好意を抱くこともあるし、相手のために何かしてあげたいと思うこともある。
ただ、会話の中で相手の感情を無視してしまうことがあり、それは一般的な感覚で言えば 他の人よりも劣っている点 ということになるのかもしれない。
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