年の瀬

東京駅から新幹線で2時間と少し。福島を通過し、山間のトンネルを抜けると一気にそこは雪国になる。
しかし山から町の方へ降りてくると雪はさほど残ってはいなかった。

新幹線を降り、乗り継ぎの汽車まで1時間半。駅の近くをぶらぶら歩き、やたらと駐車場の広いラーメン屋に入った。

お店おすすめの豚骨しょうゆは味は薄めで脂が沢山浮いている。麺は太縮れで地元のラーメン屋はみんなこれだなと懐かしくなった。

お会計を済ますと、「今年もありがとうございました。」と店主から箱ティッシュをもらった。カシミヤと書いてある。『カシミヤ』と書いてあるのなら大概いいやつだろう。ユニクロも『カシミヤ』は高いコーナーにある。しかも立方体のティッシュだ。見たことないから多分いいやつだろう。多分。

だがしかし、防寒着でパンパンになっているキャリーケースに立方体の入る余地はなく、仕方なく手に持って駅へと戻った。

やたらと広い待合室で相撲が流れるテレビを見て時間を潰す。汽車を待つ君は横にはいないが私は時計を気にしていた。1時間半に1本のタイミングを逃すのはなかなかに致命傷である。せっかちに拍車がかかる昨今、私は待ちきれずホームへと向かった。

汽車はすでにホームに着いていた。1両編成のローカル線である。元々利用者も少ないため、もしや貸し切りかと思っていたが、むしろ混んでいる。家族連れや大きな荷物を持っている人がほとんどであり、もしかしたら今日が1年の中で1番混んでいるかもしれない。

ガタンゴトンそのままの音に揺られていると、高校時代を思い出す。学校最寄りの手前で鳴るベルが、友達の宿題を写せるデッドラインだった。提出の後に待ち受ける小テストの存在は当たり前のように知らない。

汽車の先頭に車掌さんの背中と並ぶ小さな背中が2つ。5歳くらいの男の子2人が汽車の行く末を見ている。お父さんの話を聞くに、今日は汽車旅なのだそう。終点まで行ったら戻ってくるのだとか。大晦日の素敵な旅締めである。

1時間半ほどの旅も終わり、終点の無人駅から出る。日は落ちかけており、部活帰りの時間もこれくらいだったなと思い出した。久しぶりに通学路で帰ってみようと、好きでもない上り坂を選んだ。あの頃は好きで好きで仕方がなかった上り坂。好きな人がこっちの道だったからわざわざ辛い道を選んだ上り坂。若かったあの頃、ということでもなく、今もさして変わっていない気がする。

帰り道の途中で懐かしい晩御飯の匂いがした。あの頃と変わらない、毎日嗅いだ匂い。・・・・・・晩御飯同じメニューなのか?しょうもない独り言を呟きながら、誰よりも通った公園を眺め、遊具の固定の位置はあれくらいか。今年はそんなに雪が降らないかもしれないと、カマキリの卵と同じ扱いをする。

そして気づく。カシミヤがいない。「カシミヤ!」呼びかけてみても声は聞こえない。片時も離さずそばにいたのに。私に寄り添っていたのに。諦めるか。目の前はもう実家だった。いや、今年に忘れ物はしたくない。そんなJR SKISKIみたいな文言は実際に出てきてはいない。それでも今来た道を戻り始める。駅のトイレで待つカシミヤを迎えに行く。素敵な旅締めをしよう。好きな人が下っていた坂を下ろう。素敵な旅締めをしよう。そして好きな人が上っていたさ・・・素敵な旅締めをしよう。


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