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ここ数日の「思うにょ。」
うちらには尾崎豊やブルーハーツのような言葉が、存在が、音楽が、圧倒的に足りなかったんじゃないかって。思います。
学生時代を思い返してみても、ありきたりな恋愛の歌と応援歌ばかりで「若気の至りに咲く吐露」のようなものがなかったなって。
尾崎豊やブルーハーツの言葉を聞いていると、無鉄砲に「夢」を語ってくれていることへの安堵を無性に感じるんだよな。
「自由」や「希望」や「愛」を、汗と涙のような人間臭さで
『テヘランでロリータを読む』 感想文
これは『テヘランでロリータを読む』の筆者、アーザル・ナフィーシーの言葉である。
本書を読み終えた暁には、この言葉が彼女から文学へ対する、力強く絶え間ない「賛美」と「信頼」と「慈愛」であることがわかるだろう。
ここでいう「公の世界」と「私的な世界」を繋ぐ「窓」となるのは、紛れもない「文学」であり、「本を読む」という行為である。
彼女はそう信じてやまない。
そんな文学に対する熱い想いが、紡がれ
普通にめっちゃ 「Bメロが一番耳に残ったりするんだよね」
た、助けて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
大人が「助けて」という言う時。
それは大体もう手遅れな瞬間が多いです。
助からないことはわかっているのに、ただ気休めのためだけに「助けて」と言う大人。
健気やね。
「明るさ」と「愛され」の因果の中で生きている人間が、本当に眩しくて誇らしくて大好きだという話。
この世で最高の因果じゃん。
【放棄する権利】を【得る】ことが大人になるということなのかもしれな
激b 「映画ノルウェイの森、見たよ〜」
作品を見終わってレビューを見てみたら案外評価が低くて驚いちゃったtkdmですこんばんは。熱烈ハルキストからの評価がなかなか低いくさかったですけれども。私は好きです。
変なバイアスとか無しに、ただ純粋な意見として、村上春樹の文学を映像化したらこうなるやろな〜、という想定の範囲内をずっと行く作品でした。私が一番そらそうやろな〜、と感じたのは台詞に関してで、いわゆる棒読みチックな、感情の起伏が伝わりづら
bかeかというと 「本日のつぶやき」
・美術館のこと、デカ絵画を見れるというだけでもうすでに最高空間と思っている
・横にデカい美術館へ行け
・電車に乗っていると、3回に1回くらいの割合で席を譲る人を見て、みんな優しいな、と思う
・「年齢」って「数字」だなぁと改めて思う日々
・年が離れてても近くても、上でも下でも、合う人とは合うし、合わない人とは合わない
・人と付き合う上で重視すべきは、年齢よりも身を置いてきた金銭感覚や時間感
結構なe 「馳せよ馳せよの電波時計」
・私は人よりも稼いでないけれど、人よりも美術館に行くし、人よりも映画館に行くし、人よりも外食をするし、それでそのまま破滅してしまいたいと思っているよ
・干渉という行為から一等遠い存在となりたい
・どちらかというと、というより、どちらでもなくとも、はみ出しているその部分を愛したい側
・わからないことへの
「よくわからないということは対峙しているということ
わからないということは放棄ではな
5月17日のe 「ナンセンスボックスとしての始まり」
今日という一日が「始まり」の道標を立てました。
ライ麦畑でこんばんは。tkdmです。
陰湿で鬱蒼とした今日ほど私のブログの始まりとしてふさわしい日はないでしょう。
つ〜ことで、やったるで!おもい眼(まなこ)で…
9時44分からのスタート。
思う。
文字を抽出することしかできなくて、しにて〜と思う。
フランス映画で摂取する人のエゴイズム。
羨望と嫌悪の眼差し
これを「ムカつき」と呼ぶ。