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刀剣乱舞・にっかり青江の性格考察

⚠️ 注意 ⚠️

  • 筆者の専門知識は皆無。すべて想像、妄想、推察にすぎない。

  • 個人の見解であり、無理に同意を求めるものではない。

  • ゲーム『刀剣乱舞』のセリフ・手紙バレがある。


はじめに


刀剣乱舞というゲームがある。
今やゲームのみならず、舞台やミュージカル、アニメや映画にもなっている大人気コンテンツだ。
かく言う私もプレイヤーの一人であり、特ににっかり青江というキャラ(刀剣男士)がお気に入りだ。

(※ここからは、「刀剣乱舞」「刀剣男士としてのにっかり青江」を知っている方向けに書いていく)

このにっかり青江に対して、初見では物腰柔らかく冗談好きな、水で薄めて飲みやすくした高田純次か壇蜜のような印象を持っていたのだが、極になってしばらく、どうも違うようだと感じ始める。

口調は穏やかだが、戦闘で躊躇しない。
下ネタが印象的だが、距離は近くない。

決定的だったのは、軽傷未満で手入れした際の以下のセリフだ。

「侍らせるなら無傷の刀、ってことかい…」

刀剣乱舞 にっかり青江のセリフ

大事にされるよりも戦いに使ってほしいという、彼の刀らしい思いが窺えるが、これは身の安全を求めがちな人間には無い価値観だな、と衝撃的だった。

小さな出来事ではあったが、彼の内面を考察するには十分な理由だ。


①にっかり青江はプライドが高い


まず、これまで聞いてきたセリフを思い起こすと、ある一つの印象にたどり着く。

にっかり青江は、主を試すような発言をする。

ヒトが誰かを「試す」とき、そこには「相手に対する甘え」か「自身に対するプライド」があると思う。

にっかり青江に当てはまるのは後者だろう。彼は刀としての矜持が強い、プライドの高い男なのだ。

そう仮定すれば、先の手入れ時のセリフや、戦いへの真剣さにも納得がいく。

そして、高いプライドを持つがゆえに、「幽霊斬り」の伝説が彼の「刀としての矜持」を揺るがしていたのではないか。

たとえ矜持を揺るがすとまではいかずとも、少なからず気にしていたのは明らかだ。

修行に出てからの手紙も、1通目からして幽霊の件である。

迷い出てきただけの幽霊まで斬りたがるようじゃ、それは人斬り狂いとどう違うんだい?

刀剣乱舞 にっかり青江の手紙

この一文は特に、幽霊伝説への懐疑心が浮き彫りになっている。
彼は人斬り狂いの刀にはなりたくなく、また己の主が人斬り狂いであるとも思いたくないのである。

彼の「どこか妖しい」と称される雰囲気は、この汚点とも言える伝説を受け入れようともがいた跡のように思う。
だからこそ、彼の成長の第一歩目も「幽霊伝説」だったのだろう。


②にっかり青江は懐かない


さて、ここで「にっかり青江は主を試すような発言をする」ことについて見解が得られる。

にっかり青江という刀は、多くの有名武将たちから大切に扱われてきた名刀である。

この史実は、彼のプライドを築いている石垣の一つであるとともに、現在の主(プレイヤー)に仕えることへの心理的ハードルの高さをも物語っている。

具体的には、「この主は自分の身を捧げるにふさわしい器なのか」「刀として正しく使ってくれるのか」といったことを見極めようとしていたのが、修行前のにっかり青江だった。

だから、下ネタは言っても精神的な距離は遠かったし、あえて主の意向に従うそぶりを見せていたのだろう。

従順なようでいて、その実まったく懐いてない、悪く言えば独りよがりな性格をしていたと言える。

しかしその考え方は、修行を通して成長している。

他人が何を言おうと、それを覆すだけの事を成せばいいのさ。

刀剣乱舞 にっかり青江の手紙

かつての主に再び出会い、世評や外聞よりも、その人物や行動の本質的な価値を正しく見極めることが重要であることを学んだ様子だった。

長い歴史の中で培われてきた刀としての矜持。
それを揺るがしえた幽霊伝説。
矜持を守るために主を疑うのではなく、主を守るからこそ矜持が生まれる。

そのように考えが変遷していったのではないかと愚考する。

実際、修行後の極となったにっかり青江は、よく意見し、主(プレイヤー)の思いを汲むような発言をするようになった。
幽霊伝説への憂いが晴れたからか自信もつき、これを完全に受け入れたことを示すように、幽霊要素が前面に出た衣装・真剣必殺に変わっている。
(以前の赤い瞳は幽霊の目であり、彼はそれを前髪で隠していたほどだった)

それらの点が、修行前後での大きな違いの一つと思われる。


③にっかり青江は笑ってほしい


性格面の補足的な内容ではあるが、彼の口調についても言及しておこう。

にっかり青江は、なぜあのように(戦闘中でさえ)物腰柔らかな語調なのだろうか。

彼の「妖しさ」を表すための怪談師的な演出というのがまずもっての理由だろうが、私個人の見解としてもう一点付け加えたい。

彼が、武器でありながら不和を良しとしないキャラクターだからという説だ。

刀は斬るもの、傷つけるものというのが従来真当な「刀」への解釈である。にっかり青江自身の考えとしても相違ないどころか、率先して斬りに行くキレキレの真剣ぶりを都度垣間見せているわけだが、だからといって彼は無闇に争いたいわけではない。このことは、先述引用した1通目の手紙からも読み取れる。

「笑顔が一番だよ、最終的にはね」

刀剣乱舞 にっかり青江のセリフ

名は体を表すとでも言うのか、「にっかり」という名前につられるように、彼自身よく(妖しく)笑うし(敵も味方も)笑わせようとする。もしかすると、下ネタを口走るのも「笑顔が見たい」心理からなのかもしれない。

つまり、彼は切れ味の鋭さゆえに傷つけない(争わない)ために努めて穏やかで、かつ確固たる誇りがあるものだから、たいていのアクシデントは笑って受け流す余裕がある。
彼の口調の由来は、そんなところもあるのではないだろうか。


まとめ

  1. にっかり青江はプライドが高い
    愛されてきた名刀としての矜持がある。

  2. にっかり青江は懐かない
    密かに主を見極めようとしている。

  3. にっかり青江は笑ってほしい
    切れ味鋭いゆえに無闇に傷つけたくはない。ましてや、無害な母子の霊などは。

浅学の身ながら、以上を考察して思ったことは、ああやっぱ好みドンピシャなキャラじゃんという、己の趣味趣向の再確認であった。
(趣向に沿うよう考察を捻じ曲げた疑惑もある)

兎角、そんなにっかり青江が大好きだという話。

好きなキャラが多い『刀剣乱舞』だが、一番のお気に入りは今も昔もどこか妖しい彼なのである。


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高田馬場総本山
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