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モーニングページを意気揚々と始めたが正直めんどくさいという話
発端
岡田斗司夫が、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』という書籍をYou Tubeで紹介していた。
相変わらず見事な語り口で、「モーニングページ」と「アーティストデート」という2つの新習慣について解説・推奨している。
詳しくは動画もしくは書籍をご覧いただきたいが、なんでもその本は自己啓発本の一種で、「創造的に生きるための12週間の講座内容」を書籍化したものらしい。
「○○しなきゃ」という合理的思考に占領されている脳内において、「○○したい」という突発的(創造的)思考が優位になるよう、かつ自分の創造性に自信を持ち、思いつきを行動に移せるよう訓練するための本のようだ。
私はこの本こそ今の自分に必要なものだ!と確信し、秒で書籍をポチった。
本が届くまでの2日間は、お試しの気持ちでモーニングページを書いてみることにした。
「モーニングページ」とは
モーニングページとは、朝起きたら一番にA4ノート3ページ分の「今考えてること」を書くというものだ。
しかも、考えていることならどんなくだらないことでもいいらしい。
この習慣の目的としては、文字を書くスピードに合理的思考のスピードを合わせ、さらには疲れさせる(出し切らせる)ことで、その日一日の合理的思考の活動を鈍らせることにあるそうだ。
一日目
A4サイズの大きいノートなんてものは、当然我が家にはなかったので、代わりにB5サイズのらくがき帳を開いた。
おお、どんどん書ける。
最後は少し疲れたが、滞りなく3ページ分を書ききった。
その日は比較的アクティブに動けたので、さっそくノートの効果かな、などと楽観的な感想を抱いた。
二日目
2ページ半から筆が全く進まなくなった。
まさかこれほど早く失速するとは。
仕方がないので、その日は2ページ半で書くのをやめた。
三日目
3ページは頑張りすぎたと結論付けて、以降は1ページだけでも書くことを最低目標にした。
うん、1ページならなんとか埋められる。
それにしても、ノートを前にすると何も思いつかなくなったな……。
そんなこんなで書籍が届く。
帯に「中田敦彦もおすすめ!」的な推薦文が彼の顔写真とともに印刷されており、突然胡散臭さが激増したため帯はすぐに取って捨てた。
気を取り直して先頭からページを開くと、どうやらこの「新版」というのは初版発行から25周年を記念して刷られたものだそうで、それにまつわるメッセージが初めのほうに数ページに渡って書かれていた。
私個人には25周年は関係ないのですべて飛ばして、次の項目を読む。
ようやく本題のワークショップ(講座)に関することのようだが、スピリチュアルがどうとか、神がどうとか、よくわからない日本語で書かれている。
なぜ、よくわからないのか? 私は人一倍日本語の読解力に優れていると自負しているし、本書はかなり読みやすく工夫されている。
つまり、今は活字を読めるような健康状態じゃないということだ。
その日は諦めて、別日に読み直すことにした。
四日目
この日は合理脳の調子が良く(つまり体調が悪く)、一気に3ページを書ききった。
書籍のほうも、第一章の終わりまで読めた。斜め読みだが。どうにも、この本の文章は私の脳と馴染みが悪いようだ。
だいたいは動画で言われていた内容そのままで、新しい発見はなかった。むしろ、動画のほうが面白いことに気が付いた。岡田斗司夫の話術・構成力はさすがである。
さて、なぜ第一章までで読むのをやめたかというと、軽くネタバレになるが、第一章の終わりには「これからこの講座を最後まで頑張ります」的な誓約書を書かされるからだ。
これを読んでいる人には伝わっていると思うが、この時点で私にそれを誓えるほどのやる気は残っていない。あるのは「頑張らなくちゃいけないのか~」という引き気味の遠慮である。
頑張れるようになるために買った本ですら頑張れないとは、自分の創造に対する自信のなさは予想以上のようだ。
冒頭に記述したこの本こそ今の自分に必要なものだ!という確信は、岡田斗司夫の巧みな話術による錯覚だった可能性が高い。企業各位はかの御仁に宣伝を依頼すれば間違いなく売上に貢献してくれることと思う。
当然、彼の動画を責めるような気は一切ない(むしろ褒めたい)。
今回の本はこれ以上読み進められる気はしないが、モーニングページ自体は続けようと思う。
読んでないので具体的な効果はわからないが、この日のように闇の思想が体調を蝕むときにうってつけの治療法だと思ったからだ。
いつもは、頭の中だけで闇の思想を整理し、落ち着かせていたが、手を動かして文字にしたほうが整理しやすい。考えてみれば当たり前のことだ。
それに、デジタルではなく手書きの文字にすることで、可読性ゼロのマジでゴミみたいなフォントが排出されるので、同じくゴミみたいな思考でも気兼ねなく吐き出せるし、読み返す気も起きなくなる。
ゴミゴミと下品な表現をしてしまったが、モーニングページには、脳内に溜まった合理的で余分な思考(=ゴミ)を吐き出し、脳内をクリーンにするねらいがあるのは本当だ。
創造的思考を邪魔する合理的思考はゴミである。それが実践的に理解できただけでも収穫と言えよう。
五日目
本日である。
ふたたび「何も考えられない」無の状態が続いたため、1ページだけ埋めて終わった。
そして、ふと以下のことを思いつき、このnoteを書くに至る。
モーニングページを前にして「書けない」状態とは、学校の授業中に「落書きをしたくなる」状態に限りなく近い。
今回伝えたかったことは、実はこれだけなのだ。
思い出すべきは「授業中の落書き」
はじめ、モーニングページを書けないのは、無意識に課題(モーニングページ)から逃げているからだと思った。
その答えは合っていたが、完璧ではない。
何も書けないとき、私の脳内では、必ずと言っていいほど妄想や空想や落書きをしたい欲求が渦巻いていた。
それらは合理的思考から出たものではなかった(排出条件に合致しなかった)ため、書けなかったわけだ。
目の前の課題から逃げて、とりとめもない創作で余白を埋めたくなる。
それは、授業中に落書きしたくなるプロセスと一緒ではなかろうか。
私の半生において、最も創造的だったと思う瞬間は、落書きに精を出した学生時代に他ならない。
授業中の落書きが、自分史上最も自信のある創作だとすら言える。
賞をとった絵でも、人に贈った絵でも、衝動をぶつけた詩でもない。
教科書やノートの片隅にシャーペンで描いた、くだらなく小さな落書きなのだ。
美術部だった高校時代、放課後の部室で、義務から逃れるようにらくがき帳に描きまくった落書きたちこそが、今の「頑張れない」私が思い出すべき創造性のような気がした。
頑張れない理由
せっかくなので、少し私の内面の話をしようと思う。
私は社会人になってから、同じ職場に2年以上勤め続けられたことがない。最長でも1年9ヶ月だ。
なんなら、高校以来、学校も3年以上続けられたことがない。
学生時代は趣旨が変わるので社会人以降の話だけをするが、辞めたくなる原因について、しばらくは自分が飽き性だからだと思っていた。
三ヶ月か半年くらいで、当初のやる気がなくなるからだ。
何度か転職し、病院にも通ううち、飽き性ではなく適応障害になっていることが判明した。
平たく言うと、日常生活が脅かされるレベルで仕事にストレスを感じているということだ。
では、なぜストレスを感じているのか?
どの職場でも、人間関係に恵まれ、仕事の飲み込みは速く、多少の苦労も社会人なら当然だと受け入れてきた。
自分なりに頑張っていたのだが、限界がきて辞めてしまう。この繰り返しだった。
いつしか、頑張りたくなくなっていた。
そんなこんなで社会学系の本を読み漁っていたとき、『ニート世代の人事マネジメント』という本を読んだことで、自分が仕事に限らず色んなことを頑張り続けられないのは、頑張っても有能感を得られないからだと感じるようになった。
その本は、ニートになる若者たちの心理を、主に自己効力感の観点から解説していた(と思う)。
失敗を避け続けてきた私のような人間は、己の無能さをほんの少し突きつけられただけで、立ち上がることを諦めてしまうのだという。
身に覚えが十分にあった。これまで、嫌なことからとことん逃げてきた自覚がある。逃げないとどうなるか? 適応障害になるのだ。
おそらく、記憶のある以前から無意識に逃げ続けていたため、自己効力感が養われず「逃げないと生きられない」ような脆弱なメンタルに仕上がったのだろう。
さて、ここでようやく今回の主題につながる。
私には自己効力感が足りない。言い換えると、結果を出す自信がない。
もちろん、自分が創造することで何かしらの成果を出せる自信もない。
だから、作る前からやる気を失う。「どうせ頑張ったところで何もできない」という、失敗を回避してきた経験に基づく合理的な判断が、失敗を回避するために下される。
アホちゃうか、と自分でも思うが、いまだにこの負のスパイラルから抜け出せていないのが現状だ。
今すぐどうにかなることだとは思っていない。
魔法の薬など存在しないのだ。
今回、本は読めなかったが、新たな知見は手に入れられた。
モーニングページも、「授業中の落書き」の感覚を思い出せるという点で、具体的な効果が見えてきている。
何事も無駄ではない。
私にとって無駄なことなど、私の経験には一つもない。
これは、何もかも途中で投げ出してしまう「頑張れない」自分に、以前から最大の慰めとして言い聞かせてきた言葉だ。
良くも悪くも、大小様々なものから影響を受けて、私は変わっていくだろう。
おまけ
「アーティストデート」はどうなったかって?
あの週一回必ず予定を立てて一人で出かけろっていうやつ。
……まあまあ。ひとまず、モーニングページを一週間続けられてから考えたって遅くはないよね?
私はね、嫌なことから逃げることにかけては一日の長があるんです。
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