叶ってから思い出した、子供の頃の夢。
※長ロング記事の為、お時間のある時にお読み下さい。ここまでの『れれこ総括』のような記事です。
( ´∀`)ノ イッテミヨウ!
“なんで学校に行かなアカンのやろ?”
小学校低学年の時、
学校に行く意味がわからなくて「行ってきます」と言いながらマンションの屋上で空を見ていました。
(『HSPかるた』の『を』より)
そんなクール小学生だった私は
大人になった今、子供が苦手です。
「子供みんな大好き!子供みんな可愛い!」
とは思えなくて。。。_(:3 」∠)_
“子供が好きじゃない”ってイメージ悪いし、
お子さんがおられる方は気ぃ悪いだろうし、
あんまり口に出すことじゃないな。。
“子供って可愛い!と思える自分”に
なりたかったなぁ。。。(;´д`)
でも子供は全員嫌いとゆー訳ではありません。
子供でも好きな子はいるし、
好きになれない子もいます。
子供とゆーより“イチ人間”として見てしまう。
そー言えば子供の頃から親のことも“イチ人間”、と思っていました。
なので小2の時にママンが
“離婚したいけど子供達のことを考えると迷う…”
とゆー状況だった時、私はこう言いました。
「ママンが幸せになるなら離婚した方が良いと思う」
今思うと“どんな8歳やねん!”って感じです。
(Instagram初期の作品より)
小学校の頃は友達も少なかったです。
気の合う子がいなかったから。
“一人はイヤだから一緒にいよう?”
なんてのはホントに嫌で、
“それなら一人でいます”って考えでした。
(『いじめられっこれれこ。とりあえず鼻をほじる時は気をつけろ!』より)
すっごく緊張しぃで、
声が出ない時もあった小学校時代。
(『夏至がく〜れば思い出すぅ♪挙手したから〜って当てちゃダメぇ〜♪』より)
今でも付き合いのある小学校時代の友達なんていないし、今でも思い出すような好きな先生もいませんでした。
決めつけでいきなり怒る先生だったり、
(『HSPかるた』の『ゆ』より)
デリカシーに欠ける先生だったり…。
(『HSPかるた』の『り』より)
小学校の時、書かされませんでした?
『将来の夢』
特に夢はなかったけど、『漫画家』って書くと先生もクラスメイトも「やっぱりな〜!」と納得してた気がします。
クラスのプリントには漫画家って書いたけど、
好きになれない先生ばっかりだったけど、
小5くらいの時にママンに一度だけ言った事があるんです。
「将来、先生になろっかな〜」
「先生やったらずっと仕事あるしエエわ〜♪」
とママンは嬉しそうでした。
中学に上がると、小学校6年の時のクラスメイト(特別仲が良い訳ではなかった)になぜか吹奏楽部に誘われて、何となく入ってみたら部活が楽しい楽しい!
そこから何かが変わり始めて、
中学校から友達もたくさん出来て、大好きな先生とかもいて、熱が38℃あっても行きたいくらい学校が好きになっていきました。
でもここで好きになったのは“学校”であって
“勉強”は好きじゃなかった中学生れれこー。
受験勉強を全然やらなかったもんで、近くの公立高校に行くつもりがまさかの受験失敗。
(まさかなのか?でも成績は悪くはありませんでした)げーん。定時制高校に行く事になりました。
高校に入ってからも友達はたくさん出来たし、
大好きな面白い先生にもたくさん出会えました。
しかも苦手な数学を中学レベルから教えてくれる
『基礎数学』とゆー授業があって。
受験の時にはさっぱり分からなかった問題が、どんどん出来るようになっていきました。
すると、
数学を中学校レベルからやり直しただけなのに、
なんか他の教科も全部スルスル入ってくるやん?
私は勉強が出来なかったんじゃなくて、
勉強の方法が分からなかっただけなんだ!と気付きました。
高校2年生からは学校から紹介してもらった呉服屋さんの事務の仕事も始めました。
月曜日から土曜日まで、朝の8時半から17時まで。
16歳で体験するフルタイムの仕事ー。
学校との両立は…
どっちも楽しいやん!✨
出来ないとつまらないけど、
出来ると人は忙しくても楽しいんだと思いました。
でも、どっちも楽しいけど、
仕事は大人になってからいくらでも出来る…。
もっと勉強すれば良かったなぁ…。
勉強するって、学校って、
エエなぁ…。
もっと学校行きたいかも!✨
そんな私に美術の先生が美大を薦めてくれました。
中学校の頃は
“大学なんて将来やる事分からん人が時間つぶしに行くとこやろ?”
なんて斜め目線だったれれこが、
美術の短大学に行ったのです!✨
(『HSPかるた』の『こ』より)
お金がないから公立高校1本で受験して失敗したけど、定時制高校に行ったおかげで働くことが出来た。そのおかげで自分のお金が出来て、その自分のお金で短大に行く事が出来た。。。
それは私にとって最高な流れだった。
美術短大はそりゃもう自分らしさ爆発でした。
クラス委員は勿論、学園祭実行委員長なんかもやったりして、学校の中心メンバーとなって短いキャンパスライフを謳歌しました。
そして短大で人前に出る事に興味を持った私は舞台演劇にも少し足を突っ込みました。(言うても参加した作品はたったの3公演ですけど)
そこでぐーちゃんとゆー、色々大変だけど
めちゃくちゃ面白い旦那さんに出会えました✨
社会人になって、
やっぱり自分の得意な絵を活かせる仕事をしようとデザイン会社に勤めては、そのブラックさに打ちのめされ、
じゃあ全然違うキチンとした仕事をしようと
健診センターの受付事務に行ったらやっぱりそのブラックさにフルボッコ。
そして、
なんやかんやあって地方に移住した私たち夫婦。
移住先でそれなりに自分らしい仕事を見つけたと思ったらコロナで解雇。
しかも更年期障害が酷くなってきて、
お仕事はしばらくひと休み。
運良く近所のカフェのお手伝いに誘っていただいて細々と収入を得ていました。
そして今年、9月ー。
私の更年期はまだ怪しいけど、
なんか時は満ちた気がすっぞ?
そろそろ働くか。
コロナで仕事を解雇された後、いくら履歴書を送っても落ちたり返事がなかったり途中で連絡がなくなったり…全っ然仕事に就けなかったのですが、
去年、知り合いの方から誘われて何となく気になっていた仕事があったので、その仕事に応募してみました。
すると色々な事がトントン進みました。
履歴書提出から面接とずっと雰囲気が良くて、
多分コレ決まるだろうなぁ〜とゆーワクワクがありました。
そして先月、10月から就いた仕事ー。
それはー、
定時制高校の特別支援教育支援員
です。
アラフィフになってまた定時制高校に行けるだなんて、聞いてるだけでワクワクするっしょ?
( ´∀`)ウフフ
定時制高校には色んな生徒がいます。
私が行ってた頃は“落ちこぼれの不良が行く学校”ってイメージが強かったかもですが、今はちょっと違うようです。
今も昔も変わらないのは生徒の年齢の幅が広く、
大人の生徒の方がいること。
私が勤めてる学校には様々な理由で不登校になって中学校にあまり行けなかった子がたくさんいます。
繊細過ぎたり、発達障害や発達グレーゾーンにより勉強や人とのコミュニケーションが難しい子もいます。
起立性調節障害で朝どうしても起きれなくて、お昼の学校は不登校になっちゃったけど、定時制高校は夕方からだから毎日学校に通えるようになった、とゆー子もいます。
(横山小寿々さんの娘さんが起立性調節障害です)
色んな生徒がいるので先生だけで授業を進めるのが難しかったりします。
なので、支援員は教室の中で困ってる子がいたら
そっと側に行ってサポートします。
正直、細かく仕事内容を書くのは難しいのですが、
今の私だから出来る仕事に就けたなと思ってます。
あ、それに定時制だから全日制より勤務時間が短いのも、更年期障害を引きずる私にとってはありがたい仕事なのです。
クラスの隅っこにいる子の気持ちが分かるし、
緊張で声が出ない子の気持ちも分かる
小学生れれこ!
友達がたくさんいて、皆んなの中心になって学級委員や部長とかやって、学校行事を楽しむ経験もした中学生れれこ!
勉強が分からない状態からすごく分かるようになったので、“ココにつまづいてるのかな?”とゆー部分が分かるし、何より定時制に通う子の気持ちが分かる定時制れれこ!
絵を描く楽しさ、学校の楽しさを再確認し、人前に立つ楽しさまで知った美術短大れれこ!
更年期になって“強制ひと休み”をくらったおかげでSNSを始めて、帽子さんのようなHSP(繊細さん)の方とたくさん繋がり、HSPの知識が増えた。
noteでちゃぼはちさんと知り合えたおかげで、
不登校のお子さん、そのお母さんがどんなに頑張ってるか知った。
noteで横山小寿々さんと知り合えたおかげで、
起立性調節障害を抱える娘さんやご家族の気持ちを知れた。
インスタとnoteでめちゃくちゃ色々知りまくった
アラフィフ更年期れれこーー!!
このすべてのれれこがギュルギュルグーンと合体して私は今、この仕事に導かれた気がします。
教室で「先生」と呼んでもらって思い出したんです。子供の頃「先生になろっかなー」って一度言ったことを。
教員免許もないのにアラフィフで夢が叶っちゃいました。
あれ?
待てよ?
“子供って可愛い!と思える自分”になる夢も
叶ってる!(´⊙ω⊙`)ワオ!✨
あ、でも支援員の仕事は契約社員的なやつだから
ずっと仕事はないんだ、ごめんねママン🙏( ´∀`;)