マティス 「画家のノート」
この本は、アンリ・マティスによる芸術に関する文章と談話のすべてを集めた決定版であり、寡黙で知られたマティスが詳細に心の内まで丁寧に語っているのが実に感動的だ。初版ではカットアウトによる「ブルーヌード」が使われていたが、新装版は「女の顔」(1951)に変更されている。また、裏表紙にぼくの『アートの入り口』でも使ったキャパが撮った写真が使われていて、カバーを外すと中から「家の窓からの地中海風景」が現れるサプライズがある。以下はP180からのデッサンに関する1937年の手記から。
とりとめもなく(1937) 「デッサンは芸術の誠実さである」。ずいぶん昔のことになるが、国立美術学校の"イヴォン教室"と呼ばれたデッサン教室の入口にアングルに捧げられた小さな大理石の記念碑があって、そのなかのアングルの署名の上に刻まれていたこの文句を前にして私はよくとまどいを感じたものだった。
いったいこの刻文の正確な意味はなんだろうか。何よりもまずデッサンが必要であることはよくわかる。しかし、誠実さという言葉の意味が掴めなかった。コロー、ドラクロワ、ファン・ゴッホ、ルノワール、セザンヌからこうした文句が聞けるだろうか。ところが、北斎が"画狂老人"と呼ばれるときには私は差障りを感じない。
いかにもやさしく、無知な気取屋たちが飽きるほど遠慮会釈もなく繰り返すこのアングルの言葉は、構図の線を古壁の亀裂のなかに探すことを勧めたり、若い娘の人物描写に表情を与えるための大ざっぱなこつを教えているレオナルド・ダ・ヴィンチの手記の言葉につながるのだろうか。
思うに、アングルやダ・ヴィンチは自分たちの芸術を教える責任があると思いながら、弟子たちに次のような心得を与えることによってしか彼らと交流することができなかったのだろう。
実現すべき対策のありのままのデッサンを忍耐強くやらせることを通して彼らを制作に釘づけにすること。 (服の裁断と仕立てに失敗して、体を締めつけ、その動きを不随にするような手直しをいくつもやって服をお客の体にさせることをしようとはかる仕立屋を私は思い浮べる。) —-構図の機会的な手段を通して想像力の貧困を救うこと。
同様に、時代の必要性の結果であり、芸術家の意志と係わりのない要求によってきめられる様式というものは教わるわけにはゆかない。