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人生のサバティカル

ビジネスパーソンになって20年以上、その内10年間はシンガポールで仕事をしました。現在は、MBAで教えているのですが、勉強会やトークイベントに呼んでくださる方とお話していて気が付いたことがあります。

どうやら興味を持っていただくのは、

私のビジネススキルではなく、

私の「生き方」の方だということ。

もちろん、呼ばれた場に応じて、ビジネススキル・戦略の話をするときも多々あります。

それとは別に、私の生き方に興味を持っていただいてのお誘いを受けることもあり、自分でも驚きです。

「どの辺に興味を持ってもらったんでしょうか?」と聞くと、

「バリバリ仕事していて、しかも海外でビジネスをし、仕事大好きで、順風満帆に見えていて、要職にも就き、40代これからがさらに脂の乗りどころという人が、なぜ急に辞めたのか?恵まれた環境と組織をどうして離れたのか?」という点なんだそう。

そして、そのやめたことを、

・生き方を変えた人
・人生のサバティカルをとっている人

という言葉で表現してくれるのです。

私自身はそういうつもりは一切なかったのですが、考えてみれば、そうかもしれません。

仕事を変えたのではなく、生き方を変えたのだと。

・何を考えながら今までのキャリアを歩んできたのか?
・長年勤めた組織を離れる事、怖くなかったか?迷うことはなかったか?
・何がきっかけで生き方を変えようと思ったのか?

等など、とても多くの質問をいただきます。

質問をもらうことで、自分でも初めて「どうしてだろう?」と考えるのですが、よくわからない中でも、いくつか思い当たることがあります。

・世の中も自分自身の人生も常に「変化するもの」だと思っている。

・世の中も自分自身の人生も常に「変化するもの」だと思っている。
・その変化が怖いという感覚はそれほどなく、自分が変化をさせることにそれほど抵抗がない。

・その変化が怖いという感覚はそれほどなく、自分が変化をさせることにそれほど抵抗がない。
・何かに打ち込んでいるとそこからまた見える別世界があって、その世界の広がりが永遠に続くので、1つにとどまれない。
・その結果、動いている方が、楽。

・毎日いろんなことが起きて、なんだかな・・・と思う出来事に遭遇することも多いのですが、総じて、十分に恵また環境の中で生かされている実感がある。
・そんな環境で周囲から様々な機会・学び・お心遣い等などをいただくことも多いので、「貯める事」ではなくて、「手放す」ことの方が大事だと思っている。
・手放すことは、捨てることではなくて、私以外の誰かに循環されること。
・そして、「手放す」とは、私にとっては、自身を精神・身体的に軽くしてくれるものであり、次に進むステップだと考えている。

・人生は長いから、働くことだけがすべてだとは思っていない。
・器用な人は、1時期に同時に(パラレルに)様々なことができるけど、私はそこまで器用ではないので、1時期1つに集中したい。仕事を浸食忘れてすることもあれば、それ以外をする時期もある。

・どのタイミングでどのような人生の時間の使い方をするかは、自分が納得しているのであれば、それでいいと思っている。
・他人と一緒とか、世間の目を気にするとか、あまりないし、他人や世間と比べて、早い・遅いと言うのは気にしていない。自分には自分の人生のタイミングがあると思って、自分のペースで動いている。

・自分の中での「これが好き!」が明確にあるので、できるだけその「好き」なことに囲まれる環境を選択したいという意思が強い。

・できるかどうかとか、無理かどうかは気にしてない。やりたいかどうかだけ、で生きている
・つまり、できることをやっている、と言うのではなく、好きなことをやっている、感じではある。
・結果その方が、心地よい。

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話を戻すと、懸命に組織で働いた時期もある。

今みたいに、あちこち旅しながら何かやっているときもある。

いまは、かなりの頻度で、日本国内や世界を旅をしながら(1年の半分ほど海外に行っています)、

会いたい人に会い
行きたい場所に行き
行きたい場所で会いたい人と、話したいことを話す

という生活を送っています。

その中から様々なインスピレーションが生まれ、自身の社会活動(経済活動的な仕事というより、社会活動的な仕事)に生かしています。


旅と仕事と自由時間の融合。

本当の意味のサバティカルなのかもしれません。

サバティカル、というのは、「休暇」という意味ではなく、
いつものことから離れて、
これからに向けてのギアチェンジをする大事なインキュベーションタイム
と捉えています。

これまでの経験があったから豊かになり、
これからの人生の豊かさを作り出す源が、
私の「サバティカル」の定義です。


今思えば、今年踏み出したことは、何かに終止符ではなく、人生の「リープ」だったかもしれません。

リーブは、リープでもある!(これは尊敬するコーチの方が、「マタニティリープ」という活動をされていて、そこから教えていただきました)

長い人生、何かから離れることもあると思います。それが、まさに「リーブ」の瞬間。

このリーブの瞬間を、次につながるリープの瞬間だと思います。


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