(世界一周)アフリカという未知に絶望と希望を見出した旅の話【その3】
Clubhouse、聞くのも話すのも楽しい神鳥朋子です。
「過多な視覚情報」から解放される感がすごく好きみたい。
昨日クラハ(Clubhouse)の旅話の部屋で、めちゃくちゃ触発された!
人生は旅なり。そしてアフリカ話の続き書く気になりました(笑)。
前回までのあらすじ:負傷した相方と、ひよっこ冒険者の私(当時25才・英語苦手・特技はボディランゲージ)が、バスと言う名の人と物資を物流させるデカイ乗り物に乗り込んだところまででした。
41時間ノンストップバス
「カハマ → ダルエス はバスで最低30時間はかかるからね~。
着く頃には疲れ果てて、丸2日間は何も出来ないよ~」
と地元の人に言われた移動。じつに、41時間でした。嘘じゃなかった。
私が行った1999年にはそれくらいかかったわけですが、
現在Googleさんによると、16時間で行けるらしいです!なんと!
約970キロを16時間って、時速60キロじゃん。高速道路だ、良かった良かった。
1999年時点、上記ルートは未舗装の砂と埃の山道で、とにかく苦行といいますか、41時間を座って過ごす(よこになって寝れない)身体的苦痛と言ったら半端ない。
そして頼りの相方が負傷しているなか、何かあったときに咄嗟に自分が行動しなければ、という責任感の中で言葉が通じない(英単語カタコトレベルで知ってる人が一人二人居る感じ)、30時間という目測時間もあてにならない、という緊張感が私を絶望の縁まで追い詰めました。
「もう・・・こんな旅つづけるもんか!ダルエスサラーム着いたら速攻帰国便探す!!!もう無理!!」
と本気で思ってた。ほんとにほんと。(まぁ、「もう帰国したい」は、2年間で100回は思ったけど・・)
道中未開の地ならでは、な出来事①真のデンジャラス
ノンストップのはずなのに、夜1:00~4:00 の長めの休憩があった。
「なんで停まってるの?」と現地人に尋ねた相棒が「デンジャラス」と返されたのを聞いて
”この辺の治安が良くないから、明るくなるの待ってるのかね~~”
なーんて、うすらとぼけた想像をしていた私達。
空が白み始め、その光景を見て「デンジャラス」 の意味を思い知る。
凸凹道路の道端にゴロゴロわんさか山盛り見える、
横転したトラックの屍骸の惨憺たるやこれ如何に。
その理由は、道という名前の地面のせい。
雨季で水の流れができた途端、ものすごい凸凹とぬかるみが生じ、元あったはずの獣道すら形状を成していない。
(すんごいポジティブ言えば、土と石と凸凹の地面に新しく生まれ変わった未知の道!がそこにあり、ドライバーが技巧を駆使して走ってくれている)
そんな場所、日本だと中々存在しないと思うので、うまい表現見つからへんのですが・・・つまり、道、ではなくて、土の上の走れるところをバスが選んで走っていく、そして思わぬトラップ満載って感じなんですよ。
↓トラップ、で引っかかった画像がツボだったので掲載してみる
道中、何十回もバスが凹 にハマる度、「今度こそバスひっくり返る!!!」 「バスの死骸になるかも!!」「どんな体制とって備えたら最小の怪我で済むか・・・・???」とか覚悟をした私(笑
(バスは無事、ダル・エス・サラームに最後まで着きましたよ!次の記事で最終回だよ!)
道中未開の地ならでは、な出来事②助け合い
41時間の道中、ぬかるみにハマって動けなくなっている他の車を助けるため、真夜中に乗客の男手が総出で駆りださることがあった。
(相棒は怪我してるからイイヨとバスに残ってました)
もうこれだけで優しいし助け合いやなぁと思うやん!(^^)
そのあいだ女性たちは、バスを降りてストレッチしたりして息抜き。
わたしも硬直した体を外で伸ばしていたら・・・・バスが、突然動き出した!わーん、おいてかないで~~~涙
慌てて追いかける私と、現地の女性2人と、若いお兄さん。
が、夜で暗くぬかるみだらけで足元がおぼつかない・・・
しかも私鳥目気味で、夜道の視界が効きづらい。。。こわい・・・
オロオロと歩いていたら、若いお兄さんが懐中電灯を持って迎えに来てくれた!神に見えました!
あと、夜食休憩で停まった小さな店が暗くて、トイレに行くのに困ってたら、同乗のお姉さんがランプを貸してくれて、一緒に誘導してくれた(涙涙)
ほんとに素朴で親切で良い人だらけの印象だったバスの乗客のみなさん。
言葉が通じない中で、いろいろ親切にしてもらいました。
見返りを期待するでもなく、いつもみんなニコニコしている。。。
その極めつけ、私が忘れられないこのバスの中での親切について、次の記事で書きます。あ、次の記事が、タンザニアの絶望バスの最終回になります。
お読みいただきありがとうございます~~~♪