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疵は人を、その人たらしめるものでございます

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」に、はまっている。

藤原道長の長女彰子は入内して一条天皇の皇子を身籠る。
初めての出産を控えて不安に揺れる彰子の心を、かねてより源氏物語を書き続けることで支えてきた紫式部が癒し、説きほぐす。
「帝(みかど)がお喜びになるお顔を思い浮かべれば、お気持ちも和らぎましょう」
紫式部は彰子が心を許せる唯一の側近になる。

「人は好きな人なら全てを受け入れるが、嫌いになれば疵(きず)を探すようになります」というような台詞を紫式部が申し上げると、中宮彰子は不安がって、「私も帝に疵を探されるようになるであろうか?」と問う。

紫式部は「疵とは、人をその人たらしめるもの。素晴らしきものです」と説く。
世間知らずの箱入り娘、彰子は、意味がわからない、と不思議そうな顔をする。

この世には完璧な人間などおらず、必ずどこかに欠点がある。
長所はその見方、それを見る人によっては短所にもなる。
逆もまた然り。

それこそ、好きな時は全て良く見えていたのに、嫌いになると欠点ばかりに目が行くのは、平安の世から変わらぬ理(ことわり)である。

バレーボールに置き換えてみよう。

勝った時は何もかもが良い方向に作用したようにも思えるし、負けた時にはあらゆる行動が負けを呼び込んだ元凶のように思える。

いつも勝負所でサーブをミスる選手
スパイクの何本かに1本はネットにかける選手
ダブルコンタクトの反則を取られるセッター
勝負所だけサーブレシーブが下手になるリベロ

そうした欠点から、目を逸らさないでほしい。
特に、スポ少経験者は、中学校から始めた初心者には負けられないというプライドがあって、そうしたミスを直視できず、「たまたまミスった」程度で片付けているように見えた。
というのは、そのミスをまた繰り返すから。

欠点とは、あなたらしさ。
どうしても、そうなってしまうミスを、ちゃんと貴女の一部だと認めてほしい。
そのミスを自分事として一旦受け入れ、でも次、そうならないようにするにはどうするべきか、自分で考えてほしい。
どうするべきか悩み、対策するまでが、貴女らしさ、貴女の生き方なのだから。

指導者についても考える。

選手それぞれの疵を、その子らしいな、と認めることができるか。
タイミングよく、「その疵さえ克服できれば、チームにとってプラスだぞ」と言うことができるだろうか?
指導者をしていて、指摘する言葉の放ち方、タイミングの難しさに直面する。

監督の先生は技術的にはバレー素人だから、勝敗に関する指摘は絶対にしない。
技術的に指摘することができるのは、私以外にはいない。
怒鳴ったりはしないにせよ、負けて涙している女子中学生に、追い討ちするように厳しい指摘をするほど、サディスティックではない。

やはり数日置いて、あの試合を分析すると、こういう敗因だった、と言うべきなのか、言わざるべきか?
君が勝負所で、どうのこうの。
それはとても悩む。

そして言われたことを、素直に、謙虚に、受け取らない、意地っ張りな子もいるのである。
これが本当に悩ましい。

まだ、彼女たちに伝えていない、紫式部の言葉。
欠点はその人たらしめる、愛すべき特徴であって、貴女らしいミス。
しかしそれをそのままにしていては、チームの成長は停滞する。

どうか、わかってほしい。
その欠点を、まずは直視し、克服したいと願い、対策を考え、なんらかの行動を起こす。

貴女の自発的な、一連の思いや行動が、全部ひっくるめて、貴女らしさなのですよ。
貴女が歩む、貴女だけの人生。

バレーボールはチームスポーツです。
貴女が変わればチームが変わる。

そんなことって、社会に出たら、ほとんど経験できないんだよ。

そうは言っても、学生の貴女たちには、絶対にわからないんだけどね。

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