小説「ポータブル宇宙」
ある時、プレゼントに、宇宙をもらった。
「まだ大人とは言えないけれど、子どもというほどでもないから」とお母さんが言っていた。
最近特に大流行りのやつで、皆持っているものだ。ただ、全く同じものはなくて、皆新しい漫画を読むように夢中になっている。電車の中でも、家の中でも、公園でも、誰もがいつでもどこでも触っている。お父さんが言うには、大人は夜の酒場でも触っていて、グラスを傾けながら、お互いの宇宙を見せ合ってよくぞこんなの作ったなと讃え合ったり、一人のやつについてうんうんアイデアを出し合ったりしているらしい。
「育成ゲームみたいなものだから、大切にしなさい」と、お父さん。
僕専用のをもらう前から、僕は街中で人たちが宇宙をいじるのを見ていた。基本的には、皆何気ない顔でいじっている。たまに、周りに背を向けながら壁に向かって自分の宇宙を隠すように、でも嬉しそうにあれこれやっている人もいる。「見せて!」と話しかけると、
「いやいや私のは人に見せるようなものでもないから」と断られることが多いけれど、そういう人を見ていると、こちらも嬉しくなる。
そんな僕も、いよいよ僕だけの宇宙をもらった。
宇宙を触るのは面白い。
育てるための材料は人それぞれらしい。お店で買うことも、道端で拾うこともできるし、人から分けてもらったり、網で捕まえに行くこともできるみたいだ。それで、自由に組み込んだり、取り外したりしている。大切なのは、なんでも材料になるということをいつも頭に置いておくこと、そして一つの材料に固執すると取り外すのが結構大変だから、そんな時は誰かに相談した方がいいこと、その信頼できる誰かを見つけること、らしい。
宇宙を作りはじめてすぐ、僕の大好きなお菓子を材料にしようとしてあれこれ考えていたころ。帰り道、駅を出てすぐの交差点で夢中になって宇宙を作っていると、同じように夢中になっている人とぶつかった。同い年くらいの女の子。お互いしりもちをついて、ぱちくりと目を合わせた。その子は全然驚いていない感じで立ち上がって、僕はそれをぼうっと見て
いた。
気がつくと、僕の宇宙が見当たらない。手もとには相手の子のものであろう宇宙が地面でぐったりぐにゃぐにゃしているだけ。僕の宇宙がどこかに行っちゃった、猫がくわえてどこかに持っていったのかもと言うと、その子は手もとの、かき混ぜたゼリーみたいな宇宙を指差して、
「え、これはあなたのものじゃないの?私の似ているけど、知らない材料も入っているか
ら・・・」
と答えた。どうも、僕たち二人の宇宙が、ぶつかった拍子にくっついたみたいだった。
二人でベンチに腰かけて話してしばらくすると、一つに交わった宇宙は少しずつ分かれて、またそれぞれの手にゆっくり帰ってきた。大体元通りになったけれど、前の様子に完全には戻らなかった。でもそれは、前のよりいきいきして見えた。ぶつかるのは痛かったし、交じった宇宙を再び整えるのは大変だったけれど、それもまた面白いねと、僕たちは笑った。そうして、その女の子はまた新しくなった宇宙を大きく掲げて、喜びいっぱいに、ころころ回るように走っていった。僕は手を振り、気を付けてね、と心の中で見送った。
他の人の宇宙と混ざり合うことは、それからもたまにあった。図書館とか、夕暮れの学校の踊り場とか、旅行に出る時の車の窓辺とか、そのチャンスは色々だ。朝起きて、今日はそんなことがあるかなとか、夜ご飯の時に、今日は宇宙を落ち着かせるのに大変だったとか、
なかなか刺激的な毎日だ。
でも、たまに宇宙作りが悲しい時もある。
プレゼントに宇宙をもらって、最初の秋だった。お婆ちゃんが亡くなった。
離れたところに暮らしていたけれど、遊びに行くといつも優しくしてくれた。僕が知らないことを、たくさん教えてくれた。食べ物のおいしい食べ方とか、仲直りの方法とか、痛みが減るおまじないとか、お婆ちゃんから教わったことはたくさんある。でも、死んじゃったのだ。
お通夜の後、お婆ちゃんの家の布団の中でひとり泣いた。そばでは、僕の宇宙がきらきら光っていた。僕は本当に辛くて、僕を夢中にさせていたものがどうでもよくなるくらい、苦しかった。それなのに、宇宙は僕のそばで光りはじめたのだった。
僕は何だか裏切られたような気がして、ちょっと怒ったように言った。
「どうして、僕はこんなに悲しいのに、どうして?」
宇宙は何も言わなかった。そして、静かに、奥にもっと光を秘めているかのようにたたずんでいた。
この出来事が何だったのかわかったのは、それからずいぶん後のことだった。つまり、宇宙は、僕が立ち直るのにあれが一番だと思ったのだろう。確かに、その次の日の僕は案外けろっとして、お婆ちゃんとの思い出を大事に思い返していた。布団の中で、僕は沈みきっていた。だから、僕の宇宙はその先を見ていたのかもしれない。宇宙まで悲しくしていたら、僕はまだお婆ちゃんとの思い出を直視できなかったと思う。その事に気づいてから、僕は何も言わず宇宙をちょっと撫でてみた。宇宙はくすぐったそうに身をふるわせる。お婆ちゃんとの思い出は流れ星になって飛び交い続け、僕の目にまぶしかった。
ある時、近所のよく遊んでくれるお兄ちゃんから、「これを使って皆の宇宙を覗いてみなさい」と、レンズを渡された。
それはとっても透明で、小さくて、綺麗だ。宇宙を皆持っているのはわかっていたけれど、レンズを持っている人は今まであまり見なかった気がする。お兄ちゃんが言うには、
「最近レンズを持っている人は少しずつだけれど減っていて、でも『持っている人』同士は何となくわかるんだ。」ということだった。
レンズの綺麗さに見とれていると、お兄ちゃんが、
「綺麗だよな。でも大切にしないと濁ったり傷ついたりしたまま元に戻らなくなることもあるし、歪んだり無くしても気づかないこともあるから、気を付けてな」
と教えてくれた。
観察が始まった。
人のものを見るのも、自分のを作るのと同じくらいにとっても面白い。眩しくて辺りを真昼みたいに照らしていたり、美しい深緑の雨を降らせていたり、かっこいい形をしていたりする。名前をつけている人もいて、「ポップキャンディストリート」とか、「閉じ込められた夕路地の若いふたり」とか、「31世紀のジャズが街を彩る」とか、名前だけでも見てい
て飽きない。
レンズを使って自分の宇宙に使えそうな材料を探すのも良い。天気が良い時、ご飯が美味しかった時、大切な友達とお別れした時なんかにはレンズが透き通って材料探しが上手くなる。時々、雨の日にも。
一回だけ、そのお兄ちゃんのもレンズを使って見せてもらった。大小色々な部品がぐるぐる回っていて、それぞれが会話をして一緒に動いているみたいだった。気になったのは物凄く小さな部品が多いこと。僕だったら上手く使いこなせない感じのする小さな物が、目一杯光の矢を放っていて、どうしたらこんなにすごいことが出来るのだろうか、と思った。お兄ちゃんが言うには、小さな物を大事にすると、より大きくて豊かな宇宙になるのだそうだ。考えてもみなかったことだったから、僕の宇宙も驚いたみたいだったけど、すぐに納得が出来そうだった。その、教えのような独り言のような言葉を大切にしながら、また材料探しをしてみようと思う。
最後に僕が僕の宇宙を、レンズ越しに見ようとした時の話をする。
家で、ふと思い立って、実行してみた。正直に言って、レンズを使って覗き込んでも、なんだか良くわからなかった。ぼんやりとして見えた。お父さんは、自分のレンズで自分の宇宙を眺めるのはとても難しいよ、と笑いながら、でもそれはとても大切なことだと、大切なことを言う顔で話した。
僕はいつか、僕の宇宙がはっきり見えるように、大切なレンズを今日も磨いている。宇宙もこんな風に綺麗な透明になったらいいなと思う。僕の宇宙ごしに皆のを見て、色んな色が混ざって見えるのがきっと楽しいんだ。
そしたら、このレンズも、僕の宇宙の中に浮かべて、星たちを見守る大きな冬の銀河にしよう。
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