物語の狭間で

 学校の先生をしています。

 現在、高校一年生の国語の授業を主に担当している。晩秋に差し掛かり、自分の授業のやり方も少しずつ浸透してきたところで、志賀直哉「城崎にて」を扱う。内容もそこそこ重たく、また抽象的。丁寧にテクストの内容と修辞を読み解く授業を行いたい。

 今の私の授業の在り方の源流は、自分が高校三年生の時の現代文の授業から来ている。当時ものすごく不真面目だった私だが、現代文の授業だけは、自分なりにきちんと受けたと思う。それは、先生の恐さと、説明の誠実さに支えられていたと記憶する。
 その時の授業でも、当然のこと、小説が扱われた。確か最初は、阿部公房「棒」だったはずだ。小説の面白みを知らなかった私だが、その先生が近代小説における「自己疎外」の問題を話されていて、感銘を受けたことを覚えている。小説には共通のテーマのようなものがあること。内容の難しい小説を、一言で対象化すること。学びの多い授業だった。
 その後、再び小説が扱われた。なんの作品だったか忘れてしまったが、確か山あいの集落に住むことになった家族の話だった。その授業の中で、内容のまとめとして「この小説のテーマを一言で表す」というグループワークがあった。それぞれの読みを発表し合う、というのがねらいだったのだろう。
学校の授業における、生徒同士のグループでの活動は面白い。授業者が何も言わなくても話の核心に近づいていったり、思わぬ発見があったり、思わぬ収穫が得られることが多い。しかし、一方で議論がこじれたり、誰かの意見を他の誰かが押しつぶしてしまう、という難しさもある。
 あの時の私のグループでも、そんなことがあった。グループの一人が、「この小説も『棒』と同じで、自己疎外を扱ったものなのではないか」と言った。そして、私は、「いやいやそんなに都合良く同じテーマになることないでしょ」と返したのだ(あの時の自分は、必要以上に疑り深い性格で、そのことを素直に受け入れられなかった)。今思うと、「自己疎外」を見出した彼の方が「良い読者・良い受講者」だったのだろうか。物語をつなげる者と、物語を引き離す者。どちらが真意に近づいていたのだろう。それとも両者の間に、真意があったか。
 今、「授業をやる側」に立ってみて、そのことをよく考える。文章中の言葉をつなげて、その作品に横たわる「物語の束」を模索する。一方で、「書かれていること以上でも以下でもない」と断言してしまった方が、真相に近いのではないか、と思うこともある。あの時のグループワークが、内面化されている感じだ。両者の間で、揺れ動く私の言葉。

 あの時のもやもやとした感触が、今にも続いていると思う。その感触を、自分なりのやり方で、再び手渡していこうと思う。

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