言葉は意思を変え
高校教員です。
今年度、職員で打ち合わせをする時に、飛び交う言葉。
「密にならないように…」
というやつ。
みんな、すぐに意味がわかる。「密閉・密集・密接を避けよ」という意味だ。そして、それはどれほど実効性があるのだろうかという疑問や、疑念や、シニカルさを、目配せで確認する。
「密」対策は人によって様々、窓を開け放つクラスや、配布プリントを一人ひとり手渡しする変な担任がいるクラスもある。今までは意識されなかった、クラスごとの「差」が生まれる。これは結構、大きなことだと思う。
「意識が変わると、その人から出てくる言葉が変わる」というのはイメージしやすいことだと思う。その逆、「言葉が変わることで意識が変わる」ということも、割とよく起きる。
例えば、安易に「これ嫌い!」というと、その言葉はその人を縛る。もしかしたらそれを好きになるかもしれないのに、「いや、前に嫌いって言っちゃったな…」と意地を張ってしまい、せっかく好きなものを増やすチャンスを失ってしまうのである。結果、何も好きになれない。自分のことも、好きになれなくなるかもしれない。
言葉が変わる。我々のあり方も変わっていく。
逆に、嘘でも、綺麗で前向きな言葉を使っていくと、気持ちもそれに引っ張られることがある。苦しい時、嘘でいいから「良い言葉」を使いたいといつも思う。それが何にもならなくても、人生が終わる時の後悔はちょっとばかり減るのかもしれない。
コロナ禍で、誰がどんな言葉を生み出しただろうか。そしてその言葉たちは、我々にどのような影響を及ぼすだろうか。そのことに自覚的であれば、悪影響を受けることを防げるかもしれない。
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