「水が好きですよね」 その2
(昨日の続きです)
一方で、小説やなんかのモチーフとしての水も好きだ。
20年ほど前のセンター試験の国語に、津島佑子さんの「水辺」という作品が出たことがある(国語の先生っぽい話題!)。
うろ覚えだがあらすじはこんな感じ。
夫と別れてしまい、娘と二人で暮らしている女性の、繊細な心境を描いた作品だ。
ある日、主人公と娘が住むアパートの部屋に水の音が聞こえ始める。原因を探ってみると、屋上のタンクから水が漏れていたのである。屋上には水が溜まっており、何も事故が起きないのが不思議なくらいであった。水面には太陽の光が照り映え、海のようにも見える。
やがて娘の抗議もむなしく水が止められてしまい屋上の工事が入ったのだが、それが終わってみると、今度は屋上が防水塗装で銀色に塗られていた。それは水浸しになっていたあの時の屋上の風景にも見え、主人公は、「今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない」と思う、という話だ。
文中で主人公は、水というものに対して不安の気持ちを持ち、それに心を躍らせる。そうして、工事を経て、それが確かなものになっていくのである。そういう切実な生活感情とリンクするものとして、水は機能する。
その屋上でのシーンがたまらなく好きなのだ。鬱屈とした日常に、不意に現れる開放感のようなものが描きこまれていると感じる。
プロの作品を紹介した後で自分のやつをだすのも恐縮すぎるのだが、私が書いた「きみを わする」という小説がある。
そこにも、水はモチーフとして登場する。「自分の小説に水を書き入れよう!」としたわけではないのだけれど、話を進行させていく上で入ってきた。
冒頭は、ある男が海辺で、身を投げようという物騒なシーンから始まる。笑 最終的に踏みとどまり、家に帰ると、差出人不明の封筒が届いていて、その中には演劇のチケットが入っていて・・・というような話。
話が進行するにつれ、水の役割が少しずつ変わっていく。今自分の持っている「水」へのイメージが描きこまれているかな、と思う。
(小説の方ももしよければぜひ、下手かもしれないけど頑張って書いたので)
https://parsleymeteor.hateblo.jp/entry/2018/06/30/180000
水は、透明で、流動体で、その中で人間は生きていくことができないけれど、必要不可欠なもの。年齢を重ねるにつれて、色々な思いが募っていく。