自己嫌悪と自浄作用
学校の先生をしています。
「時代遅れのおじさん」にならないように気をつけたいと、以前書いた気がする。この「時代遅れのおじさん」とは、若作りするとか、若い人と張り合おうとするとかではない(いつだって若い人は新しい発想を持った優秀な人なのだ)。自分の衰えも計算に入れながら、たくさんの視点をもって変わっていこうとする人になれれば、と思うのである。
自分自身を更新していくために、「自己嫌悪」というものはある程度上手く取り入れていたいと思う。人が変わろうとする時に必要なのは、実力や才能というより、「今のままではいけない」という危機感や、自己批判の姿勢だ。自分の人格を否定する「自己嫌悪」を、自分の行動を客観的に評価する「自己批判」に変えられれば良いのではないか。そしてそれはいずれ、「自浄作用」になっていくはずなのである。そういう意味で、「ピンチはチャンス」という言葉は、ある程度的を射ているような気がする。仕事柄、日常的に悩み相談を受ける。誰かからアドバイスを求められた時も、もちろん自分自身のことを振り返る時にも、この「自己嫌悪は自浄作用になる」という考え方は持っていたいのである。
ただ、「ピンチはチャンスだよ!」という声掛けは、それはそれで扱いに困る。そういう類の励ましはむしろ、プレッシャーになることもあるからだ。困難に直面している瞬間は、具体的な行動を提案した方が良い。
全部乗り切った後で、「あの場面でああいうことに悩んでいたけど、あれが実はチャンスにつながったんじゃないかな」と、振り返る。そして、次のピンチに、「これはチャンスなのか?」ということがその人によぎれば幸いである。
自分を少しずつ変えていくのには、痛みが伴う。変化させたい対象が自己の内面の場合、それは「自己嫌悪」となって現れやすい。しかしそれを繰り返していけば、少なくとも致命傷を防ぐことはある程度できるはずだ。そうした手助けをするという使命を持って、仕事にあたりたい。
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