他人の言葉に、心を惑わされないで
SNS上で、様々な主張が飛び交う。
政治のこと、文化のこと、人の心のこと。
多様な立場を持つ、SNSがなければきっと出会わなかったであろう人達が、議論をする。
そのこと自体は、素晴らしいことだ。きちんとした議論がなされれば。
しかし実際のところは、どうも議論が上手くいかないことがあるようだ。
主張をぶつけ合うことで、対立のムードがより強まる。強い言葉を目にすることで、心に疲労が溜まる。批判すること自体が目的になり、向き合うべき相手が見えなくなる。様々な場面で、タイムラインで、そのような閉塞した気配を感じる。
攻撃的で分断が深まるだけの議論が飛び交う環境に身を置き続けていると、精神的に厳しい。出来る限り素早くそこを抜け出し、建設的な議論や、自らの見識を深めるような意見に触れられるようにするということがどれだけ重要か、このコロナ禍で痛感した。
良い議論に触れ、心の健全さを保つためには、自らの「論理的思考力」と「虚構創作能力」が必要だな、と今日ふと思った。
論理的思考力、つまり事実と事実の因果関係に対して解像度高く受容する力があれば、本来的に関係のない事実同士を結び付けようとする思惑を見抜くことができる。または、誘導尋問的に言質を取ろうとする思惑に気付くことができる。
虚構創作能力、つまり虚構の仕組みを創作する力があれば、その裏返しとして、誰かが恣意的に都合の良い虚構を作り出そうという意志を察知することができる。
言葉に携わることを職業にしている人間として、このことに誇りをもってあたっていきたい。
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