「日本人らしさ」って何だろう?

 学校の先生をしています。

 最近、授業で「日本人らしさ」って何だろう、という話をした(どんな文脈だったか忘れてしまったけれど・・・)。
 「日本人らしさ」というものを定義すること自体の意味も問いながら、最近考えていること。それは、「日本人は勤勉なのではなくて、実は全然だらしないのではないか」ということ。そして、「だらしなさとお節介さ」が、根っこにあるのではないか?ということである。

 自分の体験をどれくらい一般化するべきか、非常に微妙なのだが、自分のことを考えてみる。私は、「純粋に自分のためだけにする勉強」がすごく苦手。自分で勉強して、自分だけの利益になるようなことはどうしても出来ない。これが、「だらしなさ」。自分は本当にだらしないと思う。
 しかし、授業やなんかのためにする勉強であれば、割と持続する。「ここまで勉強して授業で話せば、教室のあの人は分かってくれるんじゃないか」というモチベーションは、保てる。正直、そこまでやらなくても、日々の仕事をそれなりにやり過ごすことはできるのだろうとは思う。それでも、「もうちょっと調べたらもっとよくなりそうだな」と、歩を進められるのである。これが多分、「お節介さ」。

 よく日本人は、「権利についての考え方が甘い」と言われるらしい。学校現場でも、例えば海外の学校では「家でのことは家庭でなんとかするもの。教員が入り込む権利はない」という考えらしいが、日本はそうではない。担任教員が、やりすぎなくらい、家庭と連絡を取り、目の前の生徒の課題をなんとか解決できないかと奔走する。しかも、日中家庭と連絡が取れないとなれば、平気で、夜に電話をかける約束をしたりする。多分、そういうところを見て、「日本人は勤勉だ」と言われたのではないかなと推測するのである。
 お節介で、所有の観念が薄く、権利の境目がだらしない。それが、勤勉に見える行動を引き起こしているのではないだろうか。

 だらしなくて、それがたくましくも見えて、そして、他人が困ったらお節介さをここぞとばかりに発動する人達。それが、日本人かなあ、なんて思うのである。

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