赤い公園「オレンジ/Pray」、そして祈るということ
このことについて語らなくては2021年に行けないと思ったので、書きます。
赤い公園というバンドが大好きです。
自由さと真摯さとを常に大切にし、何より音楽の楽しさを届けてくれるバンドです。
そんな赤い公園の最新シングルは、今年11/25にリリースされた「オレンジ/Pray」。生涯に渡って、忘れられない2曲となりました。
リリースから1か月以上経ってしまったけれど、そのことについて書こうと思います。
私個人としての「作品」についての考え方は、「あらゆる作品は作者と結び付けすぎるのは危うい」なのですが、今回の文章は多分にそうした「作家論」が含まれてしまうような気がします。
というのも、この「オレンジ/Pray」が世に出る直前に、作詞作曲を担当する津野米咲さんが亡くなりました。少しずつ、そのことについて向き合う中で、この文章を書いています。
「オレンジ」の歌い出しの歌詞は、もう何も見なくても書けます。
「あの日誓い合った約束はもう忘れても構わない」
個人的な話にはなってしまうのですが、私は高校教員をしていて、一昨年度は自分が子ども達を見送る立場でした。その時に、「私のことはもう忘れてね、その方が、皆が今を楽しんでいると思えるから」というようなことを言ったのでした。その時は、ある種の感傷やナイーヴさで語ることが出来た言葉が、自分に返ってきて刺さります。いざ、本当に旅に行ってしまった人の言葉として受け止めると、たまらない気持ちになります。私が言い放った言葉は、本心での言葉だったのか。ナイーヴさを含んではいなかったか。それはどのような影響を及ぼしたか。今、この言葉を受け止める立場になって初めて、そのことを考えます。
きっと何か文脈が違っていたら、「この曲いいよ!」などと手放しに称賛していたのでしょうが、今となってはそれは望めません。
ただ、本当に良い曲です。MVも見てほしい。メンバーの4人がただ歌を描き、表現している。素晴らしいものです。音楽的な丁寧さが端々に感じられると思います。
そして、「Pray」。
歌詞、メロディ、演奏。全てが好きなんです。
「It’s honesty 君が好き」
文芸の世界で、「韻律」という言葉があります。私はこの言葉を「言葉の意味とリズムが重なり合った心地よさ」という風に解釈しています。この曲のサビの歌い始めには、この「韻律」を強く感じます。
ここで思わず「君はどちらの視点で歌詞を書いているの?」と尋ねたくなります。傷を負ってまで旅立つというのは、死ぬことなの。それとも、生きていくことなの。
この「視点の定まらなさ」が、津野米咲の歌詞世界の素晴らしさなのかな、とも思います。
サビで繰り返されるのは、「ちょっと黒いくらいの青い空がよく似合う」という詞。
生活も、少し違和感があるくらいが良いし、人も、変なところが多少ある方が面白い。すごく共感できると同時に、そのことを分かっている人が、亡くなってしまうという現実。それが、「黒いくらいの青い空」とリンクしてしまい、ここ1か月ほど、気持ちを落ち着けるのに難儀しました。
MVでは、津野さん1人だけ振り向いたり、車から降りて来なかったりと、「何か」を表すシーンがいくつかあるのですが、最後の最後だけはそれがなく、ただメンバー4人の日常が続きます。もうそれだけで、赤い公園の日常が、せめて、画面の中でずっと続くだけで、この今の報われない気持ちが分かってもらえたような気になりました。それだけが、私の救いでした。
「祈り」は、「許し」を含みます。きっと、含みます。
2020年は、大げさでなく、人類全体にとって、苦しい年でした。私にとっても、許せなく、やるせないことが無数にある年でした。
そんな1年の最後に、津野米咲という人が残したのは、「祈り」の歌でした。
あらゆる事柄を「祈り」が超えて、嘘だらけの世の中で、少しずつ浸透していく未来を祈ります、真実が勝利することを、願います。
そのことを、授けてくれた曲だと思っています。
赤い公園は、今後もバンド活動を続けるようです。
来年も、再来年も、一生応援しようと思っています。
前回の記事でも書いたのだけれど。
津野米咲さん。ありがとう。あなたのことを思うと、子どもみたいに泣きじゃくっちゃうよ。今でも。本当にありがとうだよ。
それでは、皆さんの幸せを祈って。
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