近況報告(言葉は風)
言葉が消えてしまった。
普段、生活の中で色んな言葉を思いつく。車に乗っている時、お風呂に入っている時、寝る前など、ふいに新しい感覚に出会ったりする。そしてそれを、携帯電話のメモ帳にせっせと打ち込む。
短いフレーズだったり、詩のぼんやりした全体像だったり、エッセイの断片だったり、小説の設定だったり、すぐにnoteに載せようと思うこともあれば、メモしてそのまま、長い間日の目を見ないということも多い。そしてたまにそこを見返して、こんなことも書いていたのだなと感心したり、恥ずかしくなったりするのである。
昨日、部屋で一人酔い、その勢いで誤操作、メモしたものを削除してしまった。いったんゴミ箱に入ったものを救出しようとしたがそこでも誤操作。完全に取り出せない状態まで削除してしまったのである。
以前バックアップしていたものは復元し、それで戻ってこないものについては、頼りない記憶をたどって、思い出せるフレーズをいくつか書き出してみた。だがそれにも限界がある。結果、最近1年ほどの書きためは失われてしまった。
小説で、「忘れることは調和すること」とか、学校で生徒に向けて「私のことを忘れるくらいの生活を」などと言っておきながら、いざ自分がそういう状況になってみるとこんなに狼狽える。言うは易しだな・・・と自分で自分を笑ってしまった。
さて、タイトルである。今回のことで、いくら言葉を自分の中に思い描いても、ほんの少しのことで過ぎ去ってしまうのだなと感じた。
言葉は風のようなもので、一瞬目が合っても、それは次の瞬間には、形を変えていってしまう。自分の頭の中は、その風と刹那に出会う通り道のようなもので、どんな形であれ、最後は消えてしまうのだな。そう思った。
だとするのならば、その風をつかまえて、すぐに形にできるように創作していくことが必要で、創作ペースを上げていきたいなと静かに思うのだった。
数年前、自分が作った短歌で、こういうものがある(これは復元できた中に入っていた)。
彼の時の2人の間の流れゆく風はいづこへ君だけが知る
風のモチーフは、どうも自分の中で変わっていないらしい。
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