結構みんな中後衛
学校の先生をしています。
今年に入って、久々にゲーム機を買い、楽しんでいる。平日はなかなか時間が取れないが、休日など、手っ取り早く気分転換が出来て良い。また、違う自分の側面を見つけることもあって面白い、というのは以前にもここで書いた。
今やっているのは、TPS(二人称視点)のチーム戦の対戦型ゲームだ。武器を持ち、立ちまわりを考えながら敵を倒すためにインクをかける(と書くと大体何のゲームか分かる気がする…)。
武器の射程距離によって、立ち回りは変わってくる。今私は、中衛をやっている。距離を取って自分の陣地を確保しつつ援護し、状況を好転させる役回りである。中衛だから、前線に突っ込みすぎると、今度は相手にやられる。
今、周りを見回てみると、議論や対話の場で、「前衛」がとても多い気がする。
社会的な問題や事件、そこまでではなくとも、何か出来事が起きる。それで、即時に「これは良いことだ」「悪いことだ」と誰かが反応する。それが称賛されたり、炎上したり、とにかくあっという間に広がっていく。
「即時に反応しなければならない」という空気があるのは、分かる。社会のスピードはどんどん速くなっていっていて、それにすぐに反応しなければいけない雰囲気が、私たちを覆っているように見える。SNSという移動装置を使って、とにかく前線に即座に直行しなければならない雰囲気が。「大事なことは最後に出てくる」という日本語の特徴を見直さなければいけない、という雰囲気が。
ただ、そこで一度考えてみたいのである。「私が持っているのは前衛用の武器だろうか?」と。
「武器」というと少し物騒なので、「特徴」と言い換えてみたい。「自分の思考の特徴は、問題の核に即突っ込んでいって本質を最速で掴み、論争の中心にずっといられる体力と機転と、行動力を持ち合わせているだろうか?」
もちろん、そういう人が必要なのはわかるし、そういう人が”インフルエンサー”になって目立つのもわかる。一方、知性をパフォームするあり方はそれだけではないのだとも思うのである。
私は、正直、そういう知性の在り方にはなれないかなと今思っている。文章を書きながら、情報を集めたり聞き取りしたりしながら、自分の考えを整理していくのが好きだし、その途中で考え方が変わるのを良いことだと思うのである。もちろん、最前線で最速で思考するというのに憧れはあるし、いつか自分もそういう役割が回って来るかもしれない、備えはしているつもりだが、今の自分はそういう時ではないと思う。
多様な知性の在り方がある。最先端に挑戦する知性も、その後を固めていく知性も、ゆっくりと練り上げていく知性も、ある。伝え方も、口頭で即座に、というのもあれば、140字のものも、もっと長いものも、言葉でないものも、すぐには伝わってこないものも、本当に色々なものがある。
何が優れている、というものではない。自分に合うものを見つけ、チームでやっていくこと、である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?