
どうして産業保健活動をはじめたのか
こんにちは!
理学療法士として15年、産業保健活動を始めて3年が経過しようとしています。
近年、健康経営、健康増進、労働災害防止の分野で活躍する理学療法士が増えてきており、業界内でも注目度が増しています。
そこで、これから産業保健分野で活動を始めようか悩んでいる人の背中を押せる記事を書きたいと思っています。今からでも遅くありません、私は遠回りの人生を歩んできました。
キャリアの悩み
私は30代後半の時期に、今後のキャリアについて悩んでいました。病院の中でも中堅になり、多くの疾患を経験し、難しい症例を担当に持つことも増えてきました。
しかし、私の施設はPTスタッフが80人以上いる大所帯で役職の数も限られているうえに、典型的な年功序列制度が敷かれていました。
このまま施設に残っていても、給与面も含めてステップアップは望みにくい・・・。そんなことをいつも考えていました。
加えて、私が所属している施設は新しいことへの挑戦、新しい事業への挑戦に対して消極的な職場でもありました。
じゃあ、どうする。転職するか?起業するか?
どこに転職する?起業して何をする?
自分の強みは何か?実現したい未来は何か?
とにかく多くの書物に目を通し、内省を繰り返し、これから何をすればいいかを考えていました。
私のキャリアを振り返ると
工学系の大学を卒業
夜間部のPT養成校を卒業
リハビリテーションセンターに就職
回復期で3年間、脳卒中のリハビリに従事
回復期で7年間、整形外科のリハビリに従事
痛みの治療への興味・関心が強まり、触診や機能解剖への理解を深める35歳から博士前期課程へ(研究:高齢者の転倒)
3年間、一般病棟でニューロリハに従事
37歳から博士後期課程へ(研究:高齢者の転倒)
人間ドックのオプションでロコモチェックを始める
1年間、回復期で脳卒中のリハビリに従事
39歳で博士課程を修了し、大学教員になる
自分の強み
私はとにかく”ゼロ”から”イチ”を生み出すことが苦手で、クリエイティブな才能が無いことは自覚していました。
そのため、あるものとあるものを掛け合わせ、1を作り出そうと考えていました。
つまり、PT×〇〇×〇〇ですね!!
臨床時代から疼痛の治療にはある程度自信がありました。加えて、大学院に通い始めたことで、自分の治療や考えに科学的な根拠を持つことができました。そして、新しい知識を学ぶこと、知ることが楽しくもありました。
そうそう、私の強みは知的探求心ですね。
社会課題(就業者の腰痛)
所属施設で人間ドックのオプションでロコモ度チェックをしていると、就業者の多くが腰痛を訴えており、ロコモ指導より腰痛ケアの指導を多くしていることに気づきました。
ここで一つ疑問が生じます。高齢者の人数と就労者の人数はどうなっているのか??
65歳以上人口は、3625万人(総務省統計局. 令和6年9月15日)
就業者数は、 6811万人(総務省統計局. 令和7年1月31日)
そうなんです。高齢者より就業者の方が多いんです。しかも、産業労働者
の腰痛有訴率は約60%もあります。
さらに、腰痛有訴者のうち、医療機関を受診する人は1割程度です。約半数はセルフケアで対処しています。
進むべき道がなんとなく見えてきた
こんな事実を知るほど、私の中で使命感が湧き上がります。同時に何か私なりの価値を示せる方法がありそうだと感じるようになりました。
特に私が思っていたことは
働きながら腰痛を認める人に何かアプローチできないか。
腰痛で困っている人たちに支援できれば、その人の人生を豊かにできるんじゃないか。
です。
今振り返ると視点が個人に向いており、視野が狭いなと思いますが、その時の私は新しい未来の扉が開いたような高揚感を感じていました。
では、どういった方法で従業員の腰痛に対して支援すればいいのか??
先駆的にこの分野で活躍している療法士がいないかリサーチしていると、
株式会社バックテックと株式会社Canvasの活動を知ることになりました。
私が個人で動くことを考えると、株式会社バックテックの事業はすぐに真似できる内容ではないことを知りました。
逆に、株式会社Canvasの活動は仕事における健康課題「職業病」を切り口に従業員の健康増進や生産性向上へ繋げる、というものでした。
ここで、
PT×痛み×労働生産性向上
という考えにいきつき、これだと思いました!!
よく言えば、インスパイアです。
腰痛、労働生産性について調べていると、健康経営、健康増進、人的資本、労働災害などなど、理学療法士として社会に貢献できる可能性が多大にあることに気づきました。
そして、博士課程修了を目前に運よく大学教員への誘いがありました。
当時の所属施設では、就業規則の面からも外部での活動は難しい状況だったため、このタイミングだと思い、教職の道へ進む選択をしました。
産業保健活動を始めた訳は
腰痛で困っている人を支援したい
腰痛による労働生産性低下を解決したい
新しい分野で自分のキャリアを築きたい
PTの職域を拡大したい
このような理由です。
私は、かなり遠回りな人生を歩んできましたが、何を始めるにも遅すぎることはありません。一緒に、産業保健活動を通じて、社会課題を解決しましょう!!