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第20話 お父さんは父親じゃなかった話

少年院で迎えた中学の卒業式で×ばつ印だらけの成績表に驚き、その気もなかったが進学など到底不可能だったので15歳で就職し、大嫌いな魚介類を扱う板前見習いを1年以内に辞め、私は祖父母の家に逃げ込んだ。

まるで「遊びに来た」みたいな顔で飄々と登場した私を、祖父母は「よく来てくれたね」と快く受け入れてくれた。
しれーっとそのまま居候の身に転じたというのは、よくある話かもしれない。
幸いにもはじめの方は所持金が多かったが、あっという間に遊んでいられなくなり、急いでアルバイトを探さなければならなくなった。

絵を描くことが特技だった私を見込んで、塗装工を営む「爺ちゃんの下で働いてみないか」と祖母に言われ、小っ恥ずかしいやら面倒臭いやらで軽く抵抗したのち、アルバイトで加わらせてもらった。
小学生の頃から頻繁に祖父母の家へ泊まりに行っていた私は、祖父の仕事道具の刷毛はけなどで遊んで育ったため、道具の扱いを覚えるのは早かったと思う。
ペンキ屋の下っ端はまず掃除や養生、ケレン(塗料がしっかりと密着するための表面処理作業で、サンドペーパーやカワスキと呼ばれる鉄製のヘラで旧塗膜やサビや汚れなどを取り除くこと)などを覚える必要があるのだが、マメだった私は掃除も養生も得意だった。
祖父はそんな私の仕事ぶりに喜んでくれて、誇らしい顔で「良いペンキ屋になるばい」と褒めてくれた。

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