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第13話 児童自立支援施設(教護院)の話〜入園編〜

児童相談所または児童養護施設の話とタイトルは似ているが、全く違う施設の話だ。
原則2ヶ月の一時保護をする児相じそう(児童相談所)に対し、児童自立支援施設は18歳まで居住可能。
また、名前は児童相談所に似ているものの、実はどちらかといえば少年院と似ている施設として認識される事の方が多い。
細かい解説は抜きにして簡単に言えば、児童相談所<児童養護施設<児童自立支援施設<少年院、のような図になる。

時に「教護施設」とも呼ばれたこの児童自立支援施設だが、通称「学園」と言う。
児相で色恋問題を起こした私は(起こしたわけではないけれど)、うちでは面倒見れないと学園に飛ばされた。

学園の生活

ネットでは学園についてこのように記されています。

家庭的雰囲気の寮舎で、保護者に変わる専任職員(夫婦制、交替制)と、寝食を共にしながら生活します。 児童は集団生活の中で自律的・協調的な気風を身につけていきます。 毎日それぞれが責任を果たし、規則正しい生活を送りながら、互いに気遣う温かな人間関係を学びます。

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実際その通りで、朝昼晩共に先生や他の寮生と一緒に過ごします。
少年院や刑務所では基本となる基本動作などの軍隊ぽいルールはなく、ちょっと制限された生活といった感じ。
私が暮らした学園では男子寮が二つあり、それぞれに寮長がいた。
女子寮の実態については何一つ知らないと言っても過言ではない。
男子と女子が一緒になる時間は限られており、例えば運動会や学科で顔を合わせる程度だった。
そして私の記憶が正しければ、ごく少数いた小学生以下の男子も女子寮で生活していたはずだ。
私はこの時14歳なので、同い年の男子達と同じ寮で生活した。
決まった時間に起き、朝食を摂り、学校(分校と呼ばれていた)へ行く。
分校の先生達はかなり優しくて、理科の楽しみを教えてくれたのはこの学校だった。
娑婆しゃば(=刑務所や施設など自由が束縛されている世界に対して外の束縛のない世界)の先生は教科書通りに強行突破していくが、学園の先生は正反対だった。
発達障害を含む、学力に遅れている生徒に限りなく寄り添った授業をしてくれた。
生徒が少ないからこそできるスタイルだとは思うが、理由は何にせよ、そのスタイルに救われ学ぶ楽しさを少し知る事ができた。
昼になると全員で下校し、寮に一旦戻ってから昼食を摂った。
午後は大嫌いな屋外活動の時間で、男子は主に野球を強いられた(女子は何をしていたのか知らない)。
野球の時間は地獄で、特に山道の7キロ走がきつかった。
16時頃に寮に戻ると床の雑巾掛けをみんなで行い、夕飯の支度をした。
朝食や昼食で出たヨーグルトやゼリーなどをあらかじめ冷凍庫で凍らしておくと、夕飯のデザートとして光った。
夕飯の後は自由時間で、リビングでTVを観たり、部屋で音楽を聴きながら漫画を読んだりのんびりできた。
この間にシャワーを交代で済ませ、寮の中は石鹸やシャンプーの香りで満たされる。
確か21時が就寝の時間で、就寝前には決まってプチ反省会のようなものが行われた気がする。
就寝後は少年院のように閉じ込められるわけではなく、トイレに行きたいときは自由に行けた。
シーズンになると運動会や文化祭なども開催され、日曜日には敷地の外に車で出掛けて洗顔やCDなどを買い揃える事ができた。
この外出は誰でもOKなわけではなく、日々の暮らしの中で信頼を勝ち取る必要があった。
外出できなくとも、買ってきて欲しいものを先生や他の寮生に依頼する事ができた。
この頃の思い出のCDは浜崎あゆみのA BEST

そして事件は起きた

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