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他愛ない会話が心を軽くする時

身近な人には話せないことも、赤の他人なら言えてしまうことがある。

長く通っている美容室で、他愛もない話の流れで口走る、誰にも話さなかった話(これを「秘密のような話」と呼ぼう)。
美容師さんは、特別な話とは思わず、笑顔で相槌を打つ。
その気軽さと何気なさに心が晴れる。
誰かに聞いて欲しかったのか?と思う。
彼女は、私のことを気さくな人間だと認識しているみたいだ。

自己認識とは別の私がそこにいる。

気さくに言葉を交わし合うことと、対人関係においてオープンであることはイコールじゃない。オープンであるかどうかは、「他者からの見方」と「自分の感覚」の間にギャップがあることも多い。

私自身、嘘はなく正直でありたいけれど、弱みを見せるのは好きじゃないし、しっかり閉じている自覚がある。
明らかなギャップがあるのだけれど、そこはネガティブでもない。
他者から見た自分とのアンバランスは、自分自身を守るため、自分らしさを保つため。
私にとっての、自然なバランスなのだと思う。

全てを知られていない他人との間にある「距離」は、時に心地よい。
人はつい、近しい存在には多くを求めたり、重く受け止められてしまうことを恐れたりする。
そのせいで沈黙を選ぶ。
だからこそ、全てを知られていない他人に漏らした「秘密のような話」が、他愛もない会話の中に埋もれていく安堵は、他者との関わりにおける、ちょっとした救いのようにも感じる。
秘密を誰かに預けるのではなく、「何気ない会話の中にそっと置いてくる」感覚。

自分の言葉が相手に「受け止められる」ことよりも、むしろ「放つことができた」ことに救いがあるんだろう。


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