シューマン「子供の情景Op15-7」
すっかり間が空いてしまいました…継続するということは概念としては単純なものの、なかなか一筋縄ではいきませんね
シューマン…クラシック初心者からすると、シューベルトとシューマンは名前が似ているので正直作曲家としての整理が全然できていません
一方で、何か違いがあろうかというところでピアノ曲を幾つか聴いてみました
そのなかで、この子供の情景Op15を通して聴いたところ、この7番が非常に良いと思った次第です
本当に事前の知識なく、通してで聴いてみてこの曲が最も耳慣じみもよく、素敵な曲だなぁと思ったのですが、やはりピアノ曲として大定番だったようで…
何度も何度もこのnoteに書いているのですが、やはりこういった素人であっても一聴して素晴らしさが分かるというのは名曲たる由縁ですね
なんとなく、ニューシネマパラダイスのテーマ曲を思い出してしまいます
改めて少し聴き比べてみたのですが、曲調自体はあまり似てないような気がしました
が、書いていて気づきましたが、ニューシネマパラダイス自体が少年が主人公なので、この楽曲集のタイトル「子供の情景」と、描いているテーマ自体は同一ですね
僕自身がこの「子供の情景」を聴いて、幼少期のことを思い出されるかというとそうではなくて、むしろ少しばかり人との寂しい別れだったりを想起します
プロセスは違えど、子供の頃の記憶を思い出す時には、ノスタルジアに耽る時と同じような気持ちになるので、自然なことなのでしょうか…
なお私見ですと、歌詞のない楽曲についてのメッセージに関しては、クラッシック音楽であろうと現代のインストであろうと、受け手が自由に解釈し受け止めたらいいのだろうと考えています
楽曲自体が、聴き手に与える感情の振れ幅だったり印象というものが、まさに作曲者の意図を飛び越えて、聴き手のものになる、、と思います
僕が聴く15-7と、あなたの聴く15-7はもはや違う曲なのだということです
そういった、懐深い曲というところが、名曲のひとつの要素になるのではないでしょうか
そしてこちらは楽曲を調べていた際に出てきたアレンジバージョンです
これもまた、聴き手としての角野さんの15-7が彼のなかで昇華され、彼がつくる15-7だと思います
クラシック音楽において、作曲家の意図と同じように演奏することが望ましいとされる、と耳にしますが、
古典の文章がサマライズされつつ、エッセンシャルな部分が現代に伝わっているように、本人の意図さえ汲んでいれば、楽曲は演奏家の自由なものであり、更に聴き手の自由なものなのでは、と感じます
例えば、ホルスト「惑星」についてでいえば、平原綾香さんのjupiterの楽曲をきっかけに聴く人が絶対に増えたと思いますし、作曲者としては嬉しいんじゃないかなぁと想像します
この点の是々非々の議論は人によって様々なのでしょうか、ひとまず僕は上述のように考えています
・・・
最後は抽象的な話になっていました
久しぶりなのでライトに
所要は15分くらい、1300字程度です
クラシック音楽のピアノ曲に最近ハマっております