ガリア戦記
カエサルが、南北約965km、東西約935km、ガリア地方を、2000年前に、7年かけて、3万前後の軍で、征服した記録。
東京から九州までが、約950kmであるから、わかりやすくイメージし直すと、一辺が東京-九州間の距離の正方形の中を、2000年前に、7年間、3万人で動き回って、征服したという事になる。
2000年前のローマ兵の健脚ぶりに驚かされる。
950km四方の面を征服するのに、カエサルは、何を実行したか。
先ず、敵部族のガリア人が団結して向かってこられては、勝ち目がない。
そこで、
先ずは、一つには、ローマ軍は、強い、恐ろしいという、風評を、意図的に流した。
これにより、戦いを挑んでくる、ガリア人部族の潜在的な数を減らした。
現代でいうところの情報戦を行った。
それでも、戦いを挑んでくる複数のガリア人部族に対しては、どう対処したか。
カエサルは、副官ラビエヌスに、独立の部隊を指揮させた。
これにより、ガリア人部族の攻撃目標を、カエサルの直接指揮する部隊と、副官ラビエヌスの指揮する部隊とに分散させる事で、ガリア人部族の兵力集中を防いだ。
さらに、副官ラビエヌスの部隊には、カエサルの直接指揮する部隊が、敵のガリア人部族の主力と交戦している間に、他のガリア人部族が、そこに合流してくるのを牽制させ、ガリア人部族の兵力集中を防いだ。
これらを実現する前提条件としては、
ガリア人部族より、速くローマ人部隊を移動させることができること、
腹が減っては移動もままならないであろうから、ローマ本国-アルプス山脈-ガリアをつなぐ、補給線と兵站地を頑強に構築すること、
いざ戦闘になったら、各個撃破できるよう、兵士の練度を上げておくこと、
が必要となるが、ローマ軍は、ここら辺りの工学的なアプローチと、兵士育成のマニュアル化が、優れていた。
整理をすると、カエサルの勝因は、
・政治力の活用
・補給線の確保
・迅速な機動
・兵力の集中
・各個撃破
といった事になる。
こうしたカエサルの勝因を分析して、その勝因を崩すべく、
・ガリア部族の意志統一、
・ローマ軍の補給線への攻撃、
・焦土作戦、
によって、巧みにガリア人部隊をまとめ上げたのが、ガリア人の若き指導者ウェリキンゲトリクスである。
ガリア戦記のクライマックスは、カエサルとウェリキンゲトリクスが対決する、アレシアの戦いとなる。
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