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あめみこと ひらかすわけの みことなり
無数の光の粒が、天からふりそそぐ・・・
「天空の城ラピュタ」の主人公のシータが飛行石を輝かせながら落ちてくるような速度で、光を放ちながら、しなやかに、ゆっくり、落ちついて、
重力の支配を受けずに、
無数の光の粒ひとつひとつが自らの意志によって下りてくる・・・
そんな初雪を眺めながら、その雪景色の向こうにある鳥居を遠目に見つつ、半眼で意識を額に凝らして、祈った。
祈りの中に透明なお姿が現れる。
透明でありながら、それはあの方だとわかる。
その方は降りそそぐ、光を身に浴びつつ、吸収し、次第に光を放つ。
凝縮された光はやがて、胸のあたりに集まり、眩いばかりの光点となって、その空間、その次元全体を光輝かせた。
その空間、その次元にあった幾多の闇を愛と光で消していった。
目をしっかりと開けると、そこは、いつもの鳥居があり、森があった。雪はいつの間にか小降りになり、日が差し込んできた。
「あめみこと ひらかす わけの みこと」和名の諡号はそうなっている。漢字で表記すると、「天命開別命」となる。鹿児島の指宿神社にはそう表記されている。
でも、ここは鹿児島ではない。京都府山科区御陵(みささぎ)にある、天智天皇陵の前にいる。
もう何度通ったことだろう。この御陵(みささぎ)に。ここに来る前に近江神宮にも参拝してきた。近江神宮は大きくて立派な神宮だが、できたのは、昭和になってからで、太平洋戦争後の1945年(昭和20年)12月15日、戦後復興を祭神(天智天皇)に祈願した昭和天皇の勅旨により、同神宮は勅祭社に治定された。
勅祭社(ちょくさいしゃ、旧字体:敕祭社󠄁)とは、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社のことである。全国に15社しかない神社の一つである。
とくに、昭和天皇が戦後の復興を祈願された神社として近江神宮は有名である。
天皇家は、それほどに、天智天皇を大切にされた。
しかし、何度接してもなかなか覚えられないのが、諡号の「天命開別命」の読み方だった。なぜだろう。なんだか、意味がわからないから、毎回ネットで調べて、コピペしていた。「あめみこと ひらかす わけのみこと」と。
しかし、今回、なぜか、もうその諡(おくりな)覚えられる気がする。なんとなく、その諡の意味が腑に落ちたからだ。あくまでも自分なりに、腑に落ちただけなので、正しいとは限らない。あくまでも自分が納得したというだけです。
そもそも、「天皇」という称号を使い始めたのは、天武天皇がはじめてであり、それ以前は「大王(おおきみ)」という名が使われていた。天武天皇は、日本の基礎を作った大人物であるが、その「善政」の陰に何かのたくらみがあったのではないかと、私はいぶかしく思っている。
古事記、日本書紀には、残された証拠がある。いや残された証拠ではなく、故意に消された証拠がある。それは、伝説の聖王とされる初代天皇、饒速日命の存在である。その存在が完全に消されている。
なぜ消したのか、その真意はわからないが、とにかく消されている。天武「天皇」の「善政」のねらいはそこにあったと私は思う。その対極にあったのが天智天皇だとすると、天智天皇の和名の諡には、饒速日命の存在を残そうという意志が込められているのではないか、そう思ったわけだ。
改めて、その名を記すと「天命開別命」(あめみこと ひらかす わけのみこと)。
なぜ、命が二つものあるのか?不思議ではないだろうか。私はここがどうも引っかかって、なかなか和名が覚えられなかったのだが、これは命が二つあるのだから、それに意味があるのだ、と逆に今回腑に落ちた。
今でも、天皇に即位するには、「天皇霊」を引き継ぐ儀式があるという。
では、その「天皇霊」とはなにか?というと、やはり、それは饒速日命である、という説は少なからずある。私もそうだと思う。
天武天皇はその存在を封じようとした。
昔、人々は、大王あるいは、ミカドといえば、初代の聖王、饒速日命を思い浮かべた。その慣行を変えようとして、自ら「天皇」を名乗ったのが、天武天皇とするならば、その慣行を堂々とやり遂げたのが、天智天皇ということになる。
和名の諡の「天命」(あめみこと)は天皇霊である、饒速日命を表すのではないか!そして、その「天命」(あめみこと)のみたま(=天皇霊)を、「開」(ひらか)し、「別」(わけ)ミタマとして、ミカドになったの「命」(みこと)という意味なのではなかろうか。
後の天皇家の血筋は、天智系に復活しているのだから、ある意味、みんな「天命開別命」なのかもしれない。
だとすると、昭和天皇が、日本の国体の存亡をかけて、戦後の復興を「天命開別命」に祈願したのも、理にかなったことといえる。
天皇は、日本国民の代表であるのだから、日本国民は実はみんな「あめみこと ひらかす わけの みこと」なのだ。
天命(あめみこと)
開かす わけの命(みこと)より
我もその光(ひ)を
受け給うなり
令和七年睦月十日