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大きな国の主

 よちよち歩きのジュニアが遊びに来た。まだ、言葉は発しないが、「あー、」「お!」「おーーー!」「ん」「ば」「まー」とか表情を交えて、いろいろとコミュニケーションができるようになった。見ているだけで癒される。

 この頃の幼児のエネルギーってすごい!爆発的な生命力が全身から放射されている。それも、ピュアで、けがれがない。屈託なく、ただ真っ直ぐな喜びに満ちた生命エネルギー。そんなエネルギーを2年前にも感じたことを思い出した。

 2年前の2022年10月3日。
 前日に、その頃気になっていた、あるユーチューバー(YouTuber)のイベントに参加するため上京して、一晩東京のホテルに泊まった。その翌日、訪れたのが、東京都の府中にある、大國魂神社だった。
 伴侶が行こうと、企画していて、私はどこにいくのか、行くまであまりわかっていなかった。
 府中駅をおりて、神社に向かっていくと、なんと大きな参道であることか!

 そしてその鳥居から、大きなエネルギーを感じた。
 幼児の発する純粋なエネルギー!
 それも喜んで歩いてくるようなイメージ!
 え!大国主命ってここで生まれたの?

 そう。その幼児は、幼い大国主命のイメージだった。よちよち歩きよりも、もう少し大きくなった感じだが、その屈託のない、純粋なエネルギーを感じた。
 参道は、広くて長かったが、ずいぶん遠くから、そのエネルギーを感じた。目の前に浮かんでくるような感じだった。純粋な、喜びのエネルギーは、遠くにある大きな鳥居のあたりから発していた!
 どうして、こんなところ?
 まったくの想定外だった。

 なんの予備知識もなく、なんの期待もしなかったのが、かえってよかった。霊的情報がストレートに自分の脳裏にやってきたからだ。
 自分は普段、霊的なものが見えたりするタイプではない。むしろ、鈍感な方だ。ところが、まれに感じることがある。だいたい予備知識のない、無防備な時で、しかも、大国主命関連の時だけ、何かしら感じることがある。そもそも、そういうふうに設定して生まれてきたのかもしれない。他のことは全然わからない。

 でも、これで史実の謎が一つ解けた。国譲り神話の謎である。
 国譲りを迫ったとされる、武御雷命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)を祀る、鹿島神宮と香取神宮と出雲大社の距離があまりにもありすぎるのだ。

 鹿島神宮は茨城県にあり、香取神宮は千葉県にある。二神が大国主命に国譲りを迫ったのが、史実ならば、このあたりが国譲りを行ったところになるはずだ。しかし、大国主命の出雲大社、島根県にある。この距離間はいったい何を示しているのか?それが、私には謎だった。

 出雲っていう国は、もっと大きな国だったのではないか?

 そう思い始めたが、3年前、静岡の小國神社を訪れた時だった。
 2021年10月25日に初めて、この神社を訪れた時も、神聖なバイブレーションを受け取った。と同時、こんなところにも大国主命が祀られていることを知って、驚いた。地元の人々に非常に愛されているのが、伝わってくる神社だった。
 小國神社は、小さな國と書くが、「おぐにじんじゃ」と呼ぶ、本当は「おおくにじんじゃ」だったところを後の為政者に「小」という字を当てられたのではないかと勝手に思ってしまう。
 ホンモノの大国主命が祀られているところを訪れると、私は魂が震える、そして、それがホンモノであるとがわかる。

 小國神社に大国主命が祀られているとわかったとき、諏訪大社の謎も解けた気がした。諏訪大社に祀られている建御名方命(たけみなかたのみこと)は、大国主命の息子であるが、国譲りに納得せず、敵と転戦して、最後に信州、今の長野県に封じられた、とされている。出雲(島根県)からいかに転戦しても、その距離を移動するのは大変であるし、そんな困難な逃げ道を選択するとは思えない。海路を利用するにしても、日本海は危険だし、仮に海路を使ってのちに信州を目指すとしても、急峻な山々を越えなければ、信州には到達しない。

 ちょうどこの記事を書いている今の時期(11月上旬)は、旧暦では神無月と言われている。なぜ神が無しになるかといえば、出雲に神々が集まって、会議をするからと言われている。だから、出雲は神有月となる。ところが、信州にも神無月はない。それは、大国主命の息子、建御名方命とその子孫がその後、信州を統治したからだといわれている。
 つまり、独立国だったわけである。出雲(島根県)から転戦で信州に到着したとしたら、その独立国として維持していけるほどの余力が残るとは思えない。急峻な山道をかき分け、たどり着いたころには、細々と平家の落人のような感じになるのではないだろうか。

 堂々と、独立国として認めさせたということは、それなりの武力と付き従う人々の数が温存されていた証拠だと思われる。

 静岡あたりも、大国主命の国だとしたなら、別の転戦ルートが考えられる。それは、天竜川を遡行していく、ルートだ。船を使って、遡行していけば、物資も容易に運ぶことができる。西風を利用して、帆船でうまく遡行したのではないだろうか。そこで、一応敵を寄せ付けない防衛線を張ることができたのだ。そのように私は考える。そうして、国譲りをすることなく、独立国を維持したのだ。それを表すのが、神有月の存在だと考えられる。

 国譲りも実際は、侵略戦争だったのだろう。最初にその侵略攻撃の拠点が茨城県の鹿島神宮、千葉県の香取神宮あたりだったのだろう。その勢力が次第に東京の府中あたりまで、来て、いったんは静岡に下がって防戦するも、次第に不利になり、天竜川を遡行して、ほぼ国ごと移したのではなかろうか。そこで、いったん手打ちがあり。独立国として認められたと、考えればいろいろと腑に落ちる。

 「大国主命」というのは、役職名で、「大きな国を治めた君主」という意味ではなかろか、今でいう「大統領」のような名前と理解できる。その名のとおり、本当は実に「大きな国」だったのだろう。
 最後の、最後の、「大きな国の主」が出雲(島根県)に封印された、ということなのではなかろうか。


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