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キ・モ・ノ

 最近ひょんなことから、友人から相談を受け、易占いをしてみることになった。
 もともと易は好きで、自分や家族のことは時々、占断していたが、他人の占いをしたことはなかった。

 親しい友人の頼みなので、気軽に応じて易を立ててみた。

 やはり、易は筮竹を使ってやるのがいい。
 コインでもいいけど、やっぱり筮竹でやると気持ちが引き閉まる。
 その分、占断も冴えるような気がする。

 友人そのものの相談ではなく、友人のそのまた友人のことだった。私も一度会ったことがある、知人についてだった。

 その知人は、2年ほど前に、もらった家具に何やら不浄なものを感じて、お坊さんにお札を貼ってもらたっりしているらしいが、なんとも言えない妖気なので、友人になんとかしてほしい!と泣きついてきたらしい。友人もどうしたものかと、私に連絡してきた。

 易占の仕方や八卦の詳しい説明はしないが、易占は実に不思議で64卦の中に、その問にピッタリの卦が出てくる。あとは、どう解釈するかである。有名な心理学者ユングも晩年は易にはまったらしい。

 易占の結果は、「山沢損 四爻変 火沢睽にゆく」だった。
 テキストを紐解くと、「山沢損:損=減らすこと。まことあれば、大いに吉。減らすべきものを減らせば、問題ない。真心があれば、祀りごとは質素でよい。」四爻変の意味は「すみやかにすれば、喜びあり」だった。

 ただ、家具そのものに妖気の原因はないと感じたので、詳しい情報が得たくて、友人に電話すると、友人いわく、「着物ではないか。」と思い至った。知人は着物をもらってきては手直して、また人にあげたりするようで、それを昔から友人はすごく気になっていた。あまり、よくないんじゃないか、と。そんな着物がたくさんその家具に入っているらしい。
 それを聞いた私も易の意味がわかった。

 それが、四爻変のあとの卦「火沢睽」だった。
 睽の字の意味は、怒りの目という意味だった。しかも、火は「離宮」に通じ、美しいもの、美しいけれども、裏のあるものという象意があり、「着物」にぴったりだった。
 しかも、沢は「兌宮」に通じ、女性、とくに少女の気持ちを表すから、実にぴったりの意味がここある。

 「火沢睽」から、着物と怒りの少女の念、それが運を損なっていたということになる。

 着物を捨てるのは、「損」する気がするが、そこを思い切れば、万事よくなるという卦だった。

 着物ってやっぱり念が残るんだなぁ~と思い、昔どこかで読んだ「振袖火事」を思い出した。ネットで調べなおして、自分なりに思い返した。

 明暦の大火というものが、明暦3年1月18日から20日(1657年3月2日 - 4日)にあり、これは大火災で、江戸の大半を焼いた。

 天守を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、死者数は3万から10万と言われている。この大火で焼失した江戸城天守閣は、現在に至るまで再建されていない。
 関東大震災・東京大空襲などの戦禍・震災を除くと日本史上最大の火災であり、ローマ大火・ロンドン大火・明暦の大火を世界三大大火とする場合もあるらしい。

 この火事が、別名「振袖火事」と呼ばれている。

 振袖がこの火事を引き起こしたとするエピソードがあるからだ。

 この振袖は三人の若い女性を犠牲にしたものだった。

 最初の犠牲者がこの振袖の最初の持ち主だが、それは、裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃(数え17歳)だった。彼女は、どこかですれ違いにあった美少年に一目惚れした。なぜかその美少年は振袖を着ていた。梅乃は、その振袖が忘れられず、茫然自失して、食欲もなくなり、次第に瘦せ衰え死んでしまった。両親は供養として、娘が目にして以来、片時も忘れなかったその同じ模様の振袖を作って、棺桶にかけてあげた。裕福な質屋だったから、当時としてはとてつもなく高価で綺麗な振袖となった。

 その当時、棺にかけられた遺品などは、寺の関係者がもらって転売してもよかった。あまりに綺麗な振袖だったので、それは転売されると、すぐに買い手がついた。値段は今でいえば、中古の高級車くらいだったのかもしれない。しかも、事故車であることはもちろん隠しての値段だったろう。その購入者が二人目の犠牲者、上野の町娘・きの(16歳)だった。きのは、最初の持ち主梅乃の命日に亡くなり、梅乃と同じ本妙寺に、棺桶に振袖をかけられて、やってきた。このときは、不気味に思いつつも、あまりに綺麗な振袖であったゆえに、高値で売れるため、偶然であろうと、判断してまた転売された。

 そして、三人目の犠牲者、別の町娘・いく(16歳)のものとなる。同じ町では噂がたっていたので、別の町で転売されたのだ。ところがこの別の町娘、いくも亡くなり、三度とも同じ寺、本妙寺に運ばれた。ここで寺の関係者もさすがに責任を感じ、住職に相談して、この振袖を焼いて供養してもらうことにした。

 この住職に法力があれば、あるいは、供養できたのかもしれないが、住職が護摩にこの振袖を投じたその瞬間に、強風が起こり、投げ入れた振袖は、裾を燃やしながら、住職をあざ笑うかのように宙に舞い、寺の軒先落ちて、メラメラと火を寺に移した。折からの強風はますます強くなり、大屋根をゴーゴーと焼き尽くしていった。
 風はますます、強くなり、炎は寺の何倍もの大きさになった。
 隣近所に燃え広がり、ついには江戸の町を焼き尽くした。

 これが、明暦の大火、別名、振袖火事の由来である。

 このエピソードは作り話であるとする説もあるが、私は着物と聞いて、すぐにこのエピソードを思い出してしまった。

 やっぱり、キ・モ・ノはコワいのだ…と。

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