ハルキについて語るときに私の語ること
テレビ東京で木曜日夜10:00に放映されている、「あの本読みました?」をときどき、録画してみているのだけれど、それで面白そうなものがあると、図書館で借りて読んだりしている。(最近本はあまり買わない、増えて処分に困るので。)
その番組で、「走る」ことに焦点をあてて、本を紹介する回が12月5日にあり、そのとき、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」が取りあげられていたので、さっそく借りてきて読んだ。(言うまでもなく、今回の題名はそのパクリです。)
彼のフルマラソンやトライアスロンの体験を書いてある本だった。堅苦しくない本でありながら、半ばちょとした彼の精神内部の自伝的描写もあり、とても面白く読み終えた。読み終えて、私の心に刺さったのは、第9章にあったこの部分だった。
『効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目に見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値あるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。』
ーーーー第9章 少なくとも最後まで歩かなかった(2006年10月1日 新潟県村上市)「走ることについて語るときに僕の語ること」より
やっぱり、さすがだなぁ~と感心した。それをやり切ったから作家として成功したのだ、と思った。彼は山羊座(太陽星座)なので、まさに、山羊座らしい、絶え間ない努力によって、諸々のことを克服してきたことがよくわかる一節だった。
この第9章の題名を、墓碑銘に刻みたいとも述べていた。
こんなふうに…
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった
村上春樹を読みだしたのは、実はここ3、4年のことで、図書館で借りて読みだしたら、結構はまって、何冊か続けて読んだ。いつもは買わないんだけど、「雑文集」という文庫本をあるとき買った。
その中に、「壁と卵」と題する文があったからだ。
今でも、「壁と卵・村上春樹」と検索すると、ネットでも全文がどこかでヒットする。
世紀の名文スピーチだ、と少なくとも私は思っている。普通ならこれをこの「雑文集」の題名にしても良さそうなものだが、そうしないのが、村上春樹のいいところだ。奇をてらわないで、淡々としている・・・
村上春樹を好きになったのは、このエルサレム賞の受賞のスピーチを知った時だった。深い感動を受けた。ご存知ない方は是非とも全文をネットで検索して読んでいただきたい。人々を感動させたのは、このフレーズだ。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」
彼はこれをモットーに小説を書き続けているという。
このスピーチは、パレスチナとの紛争が激化していったイスラエルで2009年2月に行われた。
今はもっと悲惨な戦争が起きているが、彼もこのスピーチをするに当たって、敵地に乗り込む西部劇のガンマンの心境だったと述べている。それだけでも、大変だったのに、スピーチの後で、自分の背後から日本のマスコミが撃ってきたとも述べていた。笑
私は当時、その全文をネットで知り、深く感動した。彼の小説は読んだことがなかったが、スピーチの原稿を読んで、凄い、尊敬する、そう思った。
彼のスピーチが素晴らしかったことは言うまでもないが、ちょうどわたしもその時期、壁にぶつかった卵状態だった。割れる寸前で、もぬけの殻のような精神状態だった。偶然にもイスラエルとほんの少しばかり関連のあるできごとで、それまで信じていたものがすべてなくなり、友人、知人もすべて失ってしまった。
失意のど真ん中、壁にぶち当たった卵のような状態だった。
「国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。壁はあまりに高く硬く、そして冷ややかです。」
さらに「壁」はシステムであると彼は続ける。この場合、システムを、人類を捉えるマトリックス、あるいは人類のカルマと置き換えても、それほど外れていないと思う。
彼は続けて言う。
「考えてみてください。我々の一人一人には手にとることができる、生きた魂があります。システムにはそれはありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。」
上記の村上春樹の言葉を借りて、当時の私の心境を仏教流に捉え直すと、
カルマが私を作ったのではありません。
私がカルマを作ったのです。
そんな感じの心境に当時はなっていた。そんなわけで、私は村上春樹のイスラエルでのスピーチに心がシククロして、彼が好きなった。それまで彼の本を読んだことはなかった。そして、その直後も彼の本をすぐに読んだわけではなかった。
村上春樹を読み始めるちょっと前に、マドマゼル愛先生のyoutubeを見始めた。愛先生が月の星座の本質を語り始めたのは4年前くらいだろうか。
それまで、西洋占星術を勉強してみようとは思わなかった。なんだが、難しくすぎて、自分には無理だとおもっていた。しかし、愛先生の月の理論は、実に簡潔でわかりやすく、しかも、核心をついていた。まさに、目から鱗の連続だった。
そんなわけで、いろいろと自分の周りの人の月の星座も調べて、一人で勉強していた。月はその人の無意識に強制的に働きかける。月がある星座にあると、そこはその人の欠損となる。
村上春樹の月星座も調べてみた。すると、月星座はふたご座だった。
え?とびっくりした。なぜなら、ふたご座は”I think”を表す星であり、ここに月があると、それが欠損となるので、”I think”ができないことになる。つまり、作家などには向いていない、なったらとても苦労する、と愛先生が述べていたからだ。
でも、現に立派な作家として成功している村上春樹。
先ほども述べたが、それは、太陽星座山羊座のたまものと言えよう。太陽星座こそ、本当の意識であり、それが輝いていれば、月の幻は消える。
しかし、月の影響は確かにあったようだ。
彼も作品の中で、述べているが、自分は文章を書くことによってしか考えることができない、人と話するのも苦手で、スピーチなんかはみんな丸暗記、という具合に、もろに月星座がふたご座の特徴そのものだった。月の欠損はやはり、どんな人にも当てはまるようだ。
ただ、太陽星座が輝けば、その欠損は致命的なものにならないようだ。
月以外にもう一つ、人を縛り付ける星がある。それが土星だ。月は人の無意識に働きかけるが、土星は人を三次元に強く縛りつける。しかし、その縛りを拒否せず、しっかりやり遂げるとそれは第二の天性のようにその人を助けるようになる。
村上春樹の場合、土星は乙女座にある。乙女座は、仕事の星座、人に使われての仕事や雑務、掃除、整理整頓などを司る。作家になる前に、ジャズ喫茶の店を経営していた。経理や雑務をしっかりこなすことで、彼は土星の強制を見事に果たして、そうした雑務整理能力も身についたように思う。それもその後の作家人生を助けたと思われる。
また、彼の場合、太陽星座の山羊座のところに木星もある。木星によって山羊座の力がますます発展していったのだろう。コツコツと地道に頂点を目指す。木星はものごとを発展させる力がある。マラソンやトライアスロンに向かう力も木星が助けたかもしれない。
しかし、なんといっても、彼の太陽が輝いたのは、星座の力ではなく、彼の意識だったと思う。弱者を思う愛の精神。これこそが、本物の太陽意識であり、だからこそ、彼の星座も輝いたのだと私は思う。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」
この精神が底流にあるからこそ、彼は、月に阻害されることなく、土星の強制も克服して、太陽意識で作品を書き続けたのだろう。