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白銀の太玉 [1]
記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている。
村上春樹「午後の最後の芝生」
はじめに
エッセイでは語れない内容を小説として、事実を損なうことなく、少し脚色して、私の半生の体験を紡いでいきたいと思います。
読み物として、楽しんでいただければ幸いです。
能登の姫
2023年の大晦日に、2024年の新年を迎える火を家の庭で、焚いていた。
二年前にアマゾンで買ったソロ・ストーブで剪定した庭木を燃やしていたのだ。大晦日のその日は実に変な天気だった。晴れかと思えば、雨が降り、風が強くなったかと思えば、晴れ上がる。そんな繰り返しだった。
バーベキューでもしようかと、弟が買ってきたキャンプ用具で、昼のセッティングをしていたら、雨が降り出し、屋根のあるところに逃げて、細々と火を焚いたりして、過ごした。
夕方から、年越しまで、迎え火を焚こうかと思っていたけど、風も激しくなってきたので、一旦消火した。
それでも、なんだか、新年のために、火が焚きたくなったので、改めて火を起こし、大晦日を迎えることにした。家族には、呆れられたけども・・
午前零時、つまり元旦のはじめ。
空には雲一つない、晴れ上がった夜空に、星々がキラめいていた。
その火を囲みながら、家族とともに、不思議な音を聞いた。
ゴォー・ゴォー・ゴォー・・・
バキバキバキ・・
大きな炎が燃えるような音と、雷鳴にも近い音、一体何の音なのか?
家族全員が聞いていたので、空耳ではない。しかし、雷鳴でもなく、近くで火事があるわけでもない。とにかく、今まで聞いたことのない音だった。
それも空の上方から聞こえてきた。
私には、龍が乱舞しているようなイメージが湧いた。
龍の雄たけびか?
辰年だからか?
とにかく、その音を聞いて、床に入り、初日の出を見て、いつものように正月らしい日を過ごしていた。
すると、元旦の16:00過ぎに揺れが起こった。珍しく長く揺れていた。
その揺れは、能登半島あたりを震源とする地震であることがまもなく分かった。
地震はあったものの、その後家族でそばを食べにいった。自分たちのところは、そんなに大きな地震じゃなかったし、能登の方の様子もまだわからないけど、大したことはないのではないか、そう思って、家族で出かけた。最近は、元旦でも結構店は開いている。
サガミがやっているらしいので、そこへ行った。結構混んでいたので、入り口で待つことになった。同じく空きを待っていたお客さんに小さな少女を二人連れて、赤ちゃんを抱いているお母さんがいた。
その少女の一人は、なぜか、私たち家族に向かって、
「あけましておめでとうございます」とお辞儀した。
少女のお母さんは「そんな知らない人にも挨拶しなくていいのよ。」と少女に言い、「ごめんなさいね。」と気恥ずかしそうに、こちらに会釈した。
「いえいえ、かわいいですね。」などとそのお母さんと伴侶が世間話をしていた。
二人の少女は、双子で小学生1年生になったばかりらしい。その頃の子供はホントにかわいい。
先に待っていたその家族が案内に従って立ち去る時に、
「ありがとうございます。」
と、今度は、私のまん前で、その少女が丁寧に頭をさげた。
私も思わず、「ありがとうございます。」頭をさげた。
挨拶してくれたのは、双子のうち、こちら側に座っていた子だけで、最後のお礼は私の目をみて、しっかりとしてくれた。他の家族はそのことに気づかなかった。
なんだか、不思議な気持ちになった。
食事を終えて、その少女のことを思い返すと、能登の須須神社、奥宮のことを思い出した。
2022年9月に私は家族で、能登半島の旅行に出かけた。ある民宿の刺身が美味しいと知って、その周辺を観光に行った。福井から、日本海づたいに北上して、神社巡りをしながらの旅だった。主に大国主命ゆかりの神社を巡った。なぜか私は縁あるようなので・・・
能登のある民宿で美味しい食事をして、見附島にも挨拶しての帰り道。
ふと、気になる石碑があった。
「式内 須須神社奥宮」
なんか、呼び止められたような気がして、急に行きたくなった。車をその近くで止めた。かなり山の上にありそうなので、家族を下に置いて、自分だけ駆けて、山道を登って行った。自分でもかなり衝動的行動だった。直感と行動が同時進行したような感じだった。
30分ほど登ると、小さな社があった。そこには神様の名前を書かれていた。〇〇命と書かれていたが、私には、それは姫神さまであるように感じた。
祝詞をあげ、丁重にご挨拶して、その場を去った。山道の途中にも鳥居があり、お別れの挨拶の礼をすると、手を振って見送ってくれる若い少女の神様のイメージが浮かんだ。本当に純で、清らかな、少女のようなイメージだった。
その少女のイメージと、
サガミで会った少女のイメージがなぜか重なった。
今回の地震と何か関係があるような気がして‥
そんな思いを抱いて、寝た夜に、夢を見た。
・・・巫女さんのような紅白の衣装を着た、少女のような神さまが現れて、大変悲しんでおられた。
力が足りず、防ぐことができなかった。大難を小難にはできたけれども。防ぎきれなかった、と大変悲しまれていた。・・・
この地震は、人工説もある。その根拠は最初の発表の波形にp波がないことだった。最近そういう地震が多い。それは遡ること神戸の地震からだ、福島の地震もしかり、熊本も。
つまり、DSが起こしている。なんのためか?
いや、それはもう認識不足というものだろう。
タモリが昨年(2022)に、今年(2023)はどういう年になるでしょう?との問いにこう答えた。
「新しい戦前・・」
この発言はかなりの物議を醸しだしたので、記憶している方も多いだろう。タモリは認識していたのだろう。「新しい戦争」がはじまることを・・・
私に言わせれば、もうその「新しい戦争」は始まっている。ワクチンという名のミサイル攻撃も受けている。ただ、気づかない人が多いだけだ。それがミサイルであることを・・
第二次世界大戦中だって、初めてミサイルが飛んできたとき、それを認識できた庶民はいないだろう。大きな鳥かと思ったかもしれない。実際、日本では港にやってきた魚雷をクジラと勘違いした漁民はいたのだ。
神さまが「力が足りなかった」と悲しまれるということは、神さま由来の、つまり、自然由来の地震ではないということだろう。
今年はいよいよ、「開戦」が庶民にも明らかになる年かもしれない。
しかし、私の戦いは先んずること16年前に始まっていた。2008年に起こった霊戦(霊的戦争)を中心に、この物語は形成されている。その微動は2007年あたりから始まった。
白銀の太玉
どこの景色だろうか。
暗い森があった。
先が三角のような形で狭まっているような地形の森だった。
その森の先から光の玉が昇っていった。
太陽なのだろうか。
でも、すこしちがう。
太陽よりも大きく、白銀の光を放っていた。
光はあたり一面を照らした。
光は私の体の隅々を内から照らした。
私は光と一体となった。
原始の光。
太古の昔より存在し、今もなお照らし続ける。
人類が存在する遥か以前から輝きつづけている。
宇宙の輝き。
私はその光に満たされ、涙した。
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