【一幅のペナント物語#57】昭和30年代の女性が選ぶ観光地①「阿寒湖」
雑誌『旅』の1960年(昭和35年)9月号の特集「女性におくる」で紹介された「女性の好きな旅先24」というラインナップを元に、ペナントを紹介してみたい。
◉ペナント観察:昭和40年代後半の王道スタイル
白い不織布+黄色のリリアン紐のモール、昭和40年代後半のスタンダードなタイプ。ビジュアルのタッチは過去に紹介した「足摺岬」や「法隆寺」「那智の滝」などと同じラインに見える(空の描き方は微妙に違うが)。メインビジュアルは、雄阿寒岳をバックに、まさに弓を射らんとしているアイヌ男性の肖像。やはり阿寒といえば最大のアイヌコタンもある場所なので、こうなるのは必然だろう。右のさきっちょに描かれているマリモも、阿寒湖を徴するモチーフだ。アイヌおじさんの横にはサケを咥えたヒグマ(木彫りのほうではないリアル熊に見える)。テキスト要素は地名の「阿寒湖」のみで潔い。言い換えるとちょっと"手抜き感"も感じさせてしまう一品である。隅には画鋲の痕もあって、実際に貼られていたようだ。
◉旅する女たちは、神秘を湛える湖に向かった
1960年9月号の『旅』の記事に「当時の女性が好む観光地」についてのアンケート結果が紹介されていて、その2位に「山の湖」がランクインしている(29%)。阿寒湖はまさにそこに当てはまる場所だ。当時の編集部はアンケートの分析で「女性はムードの漂う、ロマンティシズムを旅行に期待する傾向がみられる」というようなことを書いている。また「大きすぎず小さすぎず程よい大きさの湖に魅力を感じる」とも。まあ、それが当たっているかどうかは別として、阿寒湖はその要件を十分に満たす場所なのは間違いないだろう。冬に見られるフロストフラワーやアイスバブルの光景なんかは、もう神秘的という他ない。
アイヌの間に残る、山を擬人化(というか神格化)して語られる伝説もそれに拍車をかけてくる。全国に夫婦のように名付けられた山は数あるが、山が人間のように想いを寄せたり妾を作ったり、嫉妬したりとか、そんな生々しい物語を持つものは他にあまり聞かない。そういう部分にロマンティシズムを感じ、物語に惹かれる気持ちはオジサンだけど分かる気がする。
◉恋マリモの伝説。叶わぬ恋の物語に心重ねて
昭和のあの頃、阿寒湖の毬藻(マリモ)は、木彫りの熊やアイヌの人形と並んで、北海道みやげの代表格だった。うちの家にもガラス瓶に入った毬藻があった記憶がある。動くわけでもないし、餌をやるわけでもないので、日の当たらない人形ケースの中に入れられていた。そんな毬藻にもアイヌの伝説のように語られている恋の物語があったようだ。この「セトナとマニペというアイヌの若者が、叶わぬ恋の果てに湖に身を投じて毬藻になった」という物語が本当にアイヌ起源の物語かどうかは解き明かされていないようだが、悲恋の物語の謂れがある場所ならば、若い女性たちが旅に向かうきっかけとして必要十分だったのではないかと思う(詳しい伝説やその変遷は、以下のブログに詳しい)。もちろん若い女性に限らず、ロマンを求める人なら誰でもが、そこに行きたくなる理由としても不思議ではない。
毬藻の存在は昭和50年代に入って全国で知られるようになり、ビンなどに入れられてお土産として大量に出回ったらしい。が「希少な生物である毬藻を阿寒湖に戻そう!」というような社会運動が生まれ、昭和60年代にはお土産としての毬藻は徐々に姿を消し、毬藻は現地で見るというスタイルになっていったようだ。
現在、阿寒湖の環境変化などの影響もあって保全活動が進む毬藻だが、研究によってその生態が解き明かされていく一方で神秘性が薄れてしまい、そこにロマンティシズムを感じにくくなってしまったのは残念な気もしたり。いや保護が第一なんだけども。
◉木彫り熊はアイヌの伝統工芸品ではない?
サケを咥えたヒグマの絵から、木彫りの熊について調べてみたが、これはそもそもアイヌとは無関係らしい。Wikiには「由来」としてこうある。
アイヌ起源ではないものの、北海道のみやげとして捉えるのは間違いではないということか。最近は売上減少が否めないというが、1周回ってなんか欲しくなってしまったりする。
◉コロナ自粛期間を乗り越えて観光客は戻っているが・・・
阿寒湖とその湖畔を賑わす阿寒湖温泉を含む釧路エリアの観光客は、ここ数年右肩上がりで回復基調だそうで、なによりだ。インバウンドの客も中国・台湾・韓国、そしてドイツを中心に驚異的な伸びを示している。とくにアジアの皆さんはコロナ禍以前から北海道が大好きだ。韓国のタレントなどは結構頻繁に北海道を訪れている。一面の銀世界というシチュエーションがロマンティシズムを感じさせるのだろうか。一方で、昭和の観光ブームを牽引してきた老舗ホテルが閉館するニュースも見付けた。今後も、こうした老舗巨大宿泊施設の終焉ムーブは続くのかもしれない。新しい時代の要請とはいえ、やっぱり寂しいものである。
終わりに、当時、阿寒湖への郷愁を誘ったであろう「毬藻の歌」の動画を残しておこう。