句:ミラーニューロン

 ミラーニューロンとは、大脳内の神経細胞の内、ある特徴を備えた細胞のこと。コミュニケーションや言語習得に多大な貢献をしていると考えられている。



※最低限に留めますが、動物実験に関する言及があるので苦手な方はご注意ください。

まえおき

  • 脳神経細胞が活性化することを発火という。生体電流を拾ったり血中酸素量を測ることで、どういう時にどの辺りの神経が発火しているかを調べることができる。

  • 脳細胞は基本的に分業しており、どういう時に発火するかは部位ごとに決まっている。

  • 身体を動かす時は、前頭葉の後ろ寄りと頭頂葉の前寄り(ヘッドホンをした時にバンドの下になる辺り)が発火する。より細かく分ければ、手を動かす時と脚を動かす時などそれぞれに担当の部位がある。

掴む神経(仮)の不思議な特徴

 マカクザルというサルの脳に電極を挿し、各部位の働きを探る実験が行われた。ジャコモ・リツォラッティGiacomo Rizzolattiの『Mirrors In The Brain(2008)』で詳しく報告されている。

 前提として、腕を伸ばして食べ物などを掴む動作と関連している脳の部位が特定された。その辺りの神経細胞は、掴む動作をする時に必ず発火するが、他の動作をしても発火することはない。1対1の対応が明らかになったのだ。

(他の動作にも対応する神経細胞があり、特定されたものもあるが、ひとまず以下は掴む動作に絞って言及する)

 しかしある時、電極を挿されたマカクザルが動いていないにも関わらず、『掴む神経(仮)』の一部が発火するケースが確認された。
 実物にせよ映像にせよ、自分以外の誰かが何かを掴んでいる様子を視た時、である。自分が動く時にのみ発火すると思われていた神経が、実は他人の動作にも反応していたのだ。

 研究者達がこの細胞について詳しく調べ始めると、興味深いことが幾つも判明した。

同種に限らない

 最初はマカクザルの動作にのみ反応すると思われていたが、次第に人間の動作を視た時にも発火するようになった。
 これは警戒心が解けた結果かも知れないし、見慣れたことで腕という部位を識別できるようになったからかも知れない。
 原因は不明だが、同種に限られないのは確かである。

文脈を推測する

 マカクザルや人間が、何もない場所に腕を伸ばす様子を視ても『掴む神経(仮)』は発火しない。この神経にとっては、腕を伸ばすだけではなく掴む部分まで含めて重要らしい。
 にも関わらず、何かに向かって腕を伸ばしている途中では、それを掴む前から『掴む神経(仮)』が発火する場合があった。
 つまりミラーニューロンは、視えている動作がこの後どうなるかを推測しているのだ。

ミラーニューロンの割合

 前述の通り、身体を動かす時に発火する神経細胞は、前頭葉の後ろ寄りと頭頂葉の前寄りである。

 前者前頭葉後部は運動野、後者頭頂葉前部は体性感覚野などと呼ばれ、ミラーニューロン(=視覚に反応して発火する神経細胞)があるのは体性感覚野だ。
 体性感覚野にある神経細胞の内、ミラーニューロンは3割程度らしい。

ヒトの場合

 この割合は、脳内に細かな電極針を挿すという侵襲性が高い(被験者が危険な)実験の結果から算出された。
 ヒトでも3割程度なのかは分かっていない。ヒトに行う検査は細胞ひとつひとつを見分けられるような精度ではないので、どれだけがミラーニューロンなのか数えようがないのである。
 とはいえ、体性感覚野の一部(割合不明)が視覚に反応して発火することは、針を使わない安全な検査(fMRIなど)で確認されているし、その他の特徴もマカクザルと一致した。ヒトの脳にもミラーニューロンが存在することは概ね証明されている

ミラーニューロンと身体性

 以下は人間を対象とした実験の結果だ。

 日本語を母語とする人間に、掴むという音声を聴かせたり文字を視せたりしても、『掴む神経』内のミラーニューロンは発火しない。
 それらの刺激はあくまで言葉であり、言語処理は体性感覚野の担当外だからだろう。このような知覚刺激は身体性を伴わない。

(ただし、唇や舌を動かして掴むという言葉を発話する際には運動野と体性感覚野の特定部位が発火する。この『喋る神経』の体性感覚野にもミラーニューロンは存在するようで、他人が喋る様子を観察すると発火するという。
 つまり上の例では、掴む動作の身体性は呼び起こされないが、『掴む』と話す動作の身体性は生じうる)

ミラーニューロンが暴いたもの

 このような特徴を持った神経細胞の存在が知られた影響は大きい。

身体からの独立性

 まず20世紀までの認知哲学では、脳とは強固に独立した臓器と考えられていた。
 喩えるならコンピュータのように人体を捉えたのである。ストレージにどんなデータを保存してもUSB等にどんな外部機器を接続しても、それによってプロセッサーの処理結果が変わったりはしない。人間の理性や認知もそのくらいの独立性を備えているはずだてほしい、と

 それがロマン主義がんぼうに過ぎないことをミラーニューロンは暴いてしまった。

知られていたこと

 もっとも、身体の使い方と認知との深い関係は、専門家でなくてもしばしば実感する。よくある例はスポーツ観戦だ。
 バレーボールのプレー経験が無い人が試合を観る時、視線はボールを追いかける。ボールに最後に触った選手と次に触りそうな選手、2人程度を追いかけるのが精一杯だろう。
 しかし経験者は、把握しきれるかはともかく6〜8人(両チームの前衛+セッター)は意識している。バレーボールにおける身体の使い方を脳細胞が知っているとほんの一瞬の観察から得られる情報量が桁違いなので、それなりには追えるものだ。

 こうした事例はどんなスポーツでも起こるし経験則として知られていたが、理屈はよく分かっていなかった。ミラーニューロンはこの現象を上手く説明できる。
 つまり、脳は身体の動かし方コードを通して仕草を解釈デコードしており、身体性を抜きにした認知など成り立たないし、脳はちっとも独立なんてしていない。それがはっきりしてしまったのである。

先天的共有基盤

 似たような思い込みをもうひとつ挙げよう。
 人類のコミュニケーションに非言語・非定型・無意識的な要素が絡んでいることは経験的に明らかだ。ではその良く分からない要素はどこから来るのか。

 『生まれつき』という説があった。後天的にどう獲得するのか分からなかったからだ。
 『人類全体に共通』という説があった。共通していなければコミュニケーションを媒介できないし、人類はいずれ無理解を克服できると考えた方がロマンがあるからだ。

 ミラーニューロンが『良く分からない要素』の全てとは言えないので、『生まれつきで人類共通な何か』が完全に否定されたわけではない。
 しかしミラーニューロンは後天的に発達するし、人それぞれで全く違った認知特性を生み出す

齟齬の不可避性

 それを踏まえると、次のような事例も見え方が変わってくる。

  1. AがBに対して手を振り上げた。

  2. Bは暴力を振るわれると感じ、慌てて距離を取った。Aはそこで動作を止めたので実際の接触はなかった。

  3. 近くで見ていたCには、Aの行動は軽いツッコミのようなものに感じられ、Bの言うような暴力とは思えなかった。

 このようなトラブルで昔から言及されてきたのは価値基準のズレ。次のような論点である。

  • 軽い力であっても暴力は暴力だ

  • 力の強さに関係なく男が女に手を上げたら暴力だ

  • 不快な部位に触れるならそれは暴力だ

などなど。
 各論点についてそれぞれ支持したり否定したりと意見は分かれるだろうし、それによってAの行為やBの反応に対する評価にも差が出るだろう。

 こういった価値基準のズレも難しい問題だが、ミラーニューロンの知見は『他にもズレがあるぞ』と指摘する。こうしたトラブルでは、えてして事実認定も食い違ってしまうものだ。

 目撃した動作は間違いなく同じものなのに、Bは『思い切り殴るために大きく振りかぶっていた』と理解し、Cは『相手が受け止めたり避けたりしやすいようにミエミエの前フリをして見せた』と理解した。このような行き違いは普通にありえるし起こっている。どちらかが嘘を吐いているわけでもない。
 仮に、誰かが問題の動作を撮影していたとしよう。何度でも再生してじっくりと確認できるとして、それでもこのズレは埋まらない。Aの動作は途中で止まっており、その後どうなるか(どうなりそうか)は予測するしかないのだから。
 AがBに対して振り上げた手がその後どう動きそうかという予測は、観察者の体性感覚野が経験に基づいて行うことだ。これは(スポーツの事例で見たように)後天的な経験によって育まれる感覚なので、個人差はあって当たり前である。

 人間はどんなに客観的であろうとしても、冷静かつ敬意に溢れた話し合いをしても、事実認定から共有できないケースがある、ということ。人の認知をそのように特徴づける神経細胞が存在するのだとはっきりしてしまったわけだ。
 認知哲学、心理学、コミュニケーション論やジェンダー論、それぞれに言い分はあるだろうが、ミラーニューロンの働きを無視するようなら、それは非現実的だと言わざるを得ない。

参考文献など

  • Rizzolatti, Giacomo; Sinigaglia, Corrado. Mirrors In The Brain: How Our Minds Share Actions and Emotions. New York: Oxford University Press. 2008

  • Rizzolatti G., Craighero L. The mirror-neuron system. Annual Review of Neuroscience. 2004

 これに限らず、ヴァン・デア・コークの書籍は読み物としても面白いのでオススメ。

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小奥(こーく)
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