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ねこじゃらし

去年の秋頃のこと。
ある日自宅で仕事をしていると、娘のキッズフォンから着信があった。
「Mくんが道路のほうに行っちゃった!とにかくきて!」という。
娘は学校から帰るとマンションの向かいの公園で仲のいい二人の男の子と遊びに出かけていた。 Mくんはそれらの子と別の名で僕の知らない子だった。
何事かと思いすぐに行ってみると、公園と道路を挟む歩道に娘を含めた見覚えのある三人がいた。そこから少し離れたところに、公園と隣接するマンションに続く、少し高まった植え込みに一人の少年が座りこんでいた。恐らくそれがMくんだろう。本当に道路に出ていた訳ではなさそうなので少しホッとした。
「どうしたの?」まず娘に聞いた。
「Mくんがあそこから動かなくなっちゃった」
次にMくんに「どうしたの?」と聞いた。
「おれのいうことぜんぶキョヒされる!」覚えたてであろう難しい単語を交え、口をとがらせそう主張した。同時になんとなく事態は飲み込めた。
そこにいる四人の話をまとめるとこうだ。
娘ら三人は、Mくんと遊ぶことになった。Mくんは野球やサッカーなどの対決する遊びをしたいのだが、いつもの三人はそのような激しい遊びは怖いからしたくないと言う。話は平行線のまま三対一と数で劣るMくんは拗ねて植え込みに登り動かなくなってしまった。娘たち三人はMくんに降りてきてほしいが野球やサッカーはしたくなく、どうしていいかわからず僕を呼んだと言う訳だった。

状況を理解したぼくは思わず「ハァ」とため息が出そうになった。
大人は我慢ができるし先も予測するので、面倒な事態になるのであれば大抵どちらかが折れ、限られた範囲で極力楽しむよう努める。譲れない場合は「今日はやめとく」の一言でおしまいだ。
気も使わないしその後のことも考えない、自己中心の目の前の彼らがなかなかそうもいかないことは、ここ数年子供社会を覗き続けたことで学んでいたのだ。

が、頼られて呼ばれた以上この場を上手く収めねばならなかった。四人でできそうな遊びをあれやこれや提案するが、案の定全員がうなずくことはない。
話していると、Mくんが一度喋ったことのある子だというのに気がついた。娘と同じ幼稚園の子で、お母さんの顔も覚えている。そんな子を「じゃあ今日は遊ぶのやめよう」と行って無下に家に帰すことは尚更できない。家に帰ったMくんが「〇〇ちゃんパパにこんな嫌なことされた」などと報告された日にゃおしまいだ。

機嫌を損ねたMくんの様子や、立ち回る僕を見ても娘たちは全く譲歩する気配を見せない。それどころか僕の後ろでクスクス笑っている彼女らにチッと舌打ちを打ちそうにる。
他人の子の手前笑顔を保つが、友達の大切さを理解していない彼女らの態度にふつふつと怒りがこみ上げてくる。
ふと、お尻がムズムズするなと思ったら、娘たちは僕のジーパンの後ろのポケットに、その辺で引っこ抜いたねこじゃらしを、僕に見つからないよう詰め込んで遊んでいたのだ。彼らはそれで笑っていたのだ。
反射的にポケットからねこじゃらしを取り出すと、その瞬間、掌にあの懐かしい感触が広がった。ふわふわと軽いチクチクが同時に訪れる不思議なあの感じは、何十年ぶりかに味わうものだった。ブワッと子供時代の風景が蘇った。

よく遊んだ友達の家の畑。
通学路の途中にある草原のようなところ。
近所の公園の奥にある怖い林。
コウモリがよく飛んでいた、砂利の敷いてある駐車場。
学校の前のドス黒い池の周り。

浮かんでくる風景の端々に猫じゃらしはあり、なぜそんなにもというくらい、引っこ抜いて遊んでいた絵が思い出せた。
振り回している友達は、一様に皆笑っている。

「ドッチボールならやってもいいよ!」

ぼんやりしていたであろうぼくを見かねてか、Mくんが幾分か元気な調子で提案してきた。
ハッとしたぼくは、ドッチボールはすでに一度娘たちに却下されたものだったが、停滞した状況を打破できそうなMくんのその声の張りに(今だ!)と思い、やや強引に娘たちの説得に掛かった。
「いいじゃん、おじさん家やらかいボールあるし、それなら痛くないよ!すぐ持ってくるし。大丈夫大丈夫!」
腑に落ちない表情はしていたもののようやく四人で行う遊びが決まった。
七歳の小一相手に四十の大人の狡猾さが光った瞬間だった。

すぐに家にボールを取りに行き、娘たちにボールを渡してお役御免としたいところだが、どうせチーム分けで揉めるだろうから、いっそのことぼくもドッチボールに加わることにした。子供たちが解散する五時まであと一時間、その程度であれば仕事も都合がつけられる。
いつもの三人組vsMくんとぼく、という編成で試合は始まった。対決する遊びを熱望していただけあり Mくんの気合いはなかなかのものだった。目をギラつかせ投げるボールは気合とは裏腹に山なりで弱々しく方向もあさってだが、何発かに一回はビュン!と力のこもった球を飛ばす。小一なんてこんなものだろう。ルールもうまく守れないし、何を言っているかわからないことも少なくない。
しばらくすると同級生だという男女の二人組が現れてドッチボールに加わることになった。女の子の方は見覚えがあった。
入れ替わるように、娘と仲のいい一人の男の子が「怖いからやっぱりやめる」と言って滑り台に登ってしまった。放っておくのもかわいそうなので、滑り台上から審判をやってもらうことにした。当たったかどうかで頻繁に揉めるので、アウトかセーフかジャッジしてもらうのだ。すると吊られるように「ぼくも」「あたしも」と、娘ら三人組は審判となった。
Mくん&ぼくvs同級生男女ペア(審判三人)というカオスな状況で試合は再開した。
ジャッジが明白な時でも「今のどっち?」と審判に問いかけたり、挑発する態勢をとりつつギリギリで避けたりし場を盛り上げ、なんとかこの場が解体しないよう奔走した。また、ボールが道路の方に転がった場合たとえ一番遠くにいたとて僕が走って取りに行き、極力子供達が危険な状況に陥らないよう努めた。下手に子供達の遊びに加わると何かあった時は全て大人の責任だ。

少し年上っぽい五、六人の男子が突然現れ「ぼくらも混ぜてもらえませんか」と言ってきた。娘たちの方を見ると不安そうな顔をしている。彼女らはまだまともにボールも投げられないので、「ちょっと怖がっちゃうからごめんね」と断った。「そうですよね、すみませんでした」と言って彼らは去って行った。小学一年と比べなんて礼儀正しいのかと驚いた。果たして目の前の彼女らも一、二年後はこうなってくれるのだろうか?

ドッチボールは続けられる。ルールを破った子がいたら極力注意していたがだんだんそれも追いつかなくなり、もうどうにでもなれと思っていると、ただのボールの当てあい状態となり、いつしか全員ぼくを狙ってボールを投げるようになっていた。審判たちはぼくに向かってくるボールは当たってもないのにすべて「アウトー」と声を揃え笑っている。必死で避けつつ、ボールが道路の方へ飛んでいくと全力で走る、平日の五時前の出来事だ。はたから見ると変な大人に見えたかもしれない。知っているママが何人か自転車で通るのが見えたが、その都度グッと帽子のつばを下ろし視線を反らせた。

夕焼けチャイムがなると「バイバーイ」と、Mくんは唐突に走り出した。Mくんの家は公園のすぐ向かいだ。「Mくん待ってー」と娘たちが追いかけ、エントラスまで走る。そこでしばらく子供達六人で何やらダベっている。また唐突に誰かが「バイバーイ」と言うと皆もそれに倣い声を張り上げ同じ言葉を繰り返しす。近くにいたら耳を押さえたくなっていたことだろう。「また明日ねー!」といって娘は走って戻ってきた。

その光景を見て、自分は一体何に気を揉んでいたのかという気持ちになった。
娘たちとMくんは結局うまく遊べていないのだ。それなのにあのテンションの別れとは一体どういうことか。
娘たちはこうなることをわかっているので、お互い自分勝手でいられるのかもしれない。
思わず、大人の社会もこんなだったらいいのに、と大人気ないことを考えてしまった。
たった一時間だがいろいろなことがあり、気がつけば心も体もグッタリだった。

その日の深夜、仕事を終え風呂に入ろうとジーパンを脱ぐと、足裏に何かがひっついた気がした。ん?と思ってジーパンを持ち上げるとパラパラと粉のようなものが落ちた。粉の中に毛のようなものも混ざっている。ねこじゃらしだった。
あの時全部取り出したつもりだったが、まだ残っていたのか、もしくはあの後どこかでさらに追加されたのか、とにかくポケットに潜んだねこじゃらしが半日そこですり潰され粉状になっていたのだ。
床や、下着、ラグにねこじゃらしのカスが散らばり、別にそんな大したこともないのだが、掃除の面倒さを考えるとガクンと力が抜け、パンイチのままその場にヤンキー座りで座り込んでしまった。
またしても沸々と怒りがこみ上げてきたが、今頃夢の中であろう犯人たちを思い浮かべると、重い腰は自然と持ちあがった。

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